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特集 – 起死回生

特集 – 起死回生


<特集 – 起死回生>
アーティストとしてレコードデビューを果たしても、その先はいろんな道が待っている。紆余曲折の中、そのアーティストにとっては「起死回生」につながるヒット曲が生まれることがある。今回は、そんな起死回生ソングを特集。

icon-angle-double-right脱ブラスロック

icon-youtube-playHARD TO SAY I’M SORRYicon-musicCHICAGO

EDMならぬ「ADM」が、ここ数年のダンスミュージック・シーンのトレンドの一つとなっているようだ。ADMの「A」は、アコースティックの「A」アメリカのバンド、シカゴの押しも押されぬ代表曲の1つ。1982年にリリースされ、全米シングルチャートで1位を獲得した。そんなシカゴは1969年にデビューを果たし、ロックにブラス・セクションを取り入れた「ブラス・ロック」の代表的バンドとして、活躍した。当時のヒット曲といえば1972年の「Saturday In The Park」が挙げられるだろうか。しかし、その後はブラスロックから離れたり、また戻ったり、メンバーが事故死したりと、波乱万丈。アルバムの売り上げも伸び悩み、ピークを過ぎたと思われた。
しかし、ブラス・ロックを捨て、デヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えたこの「Hard To Say I’m Sorry」で、再びシーンに戻ってきた。

icon-angle-double-right帰ってきたジョン

icon-youtube-playSCAR TISSUEicon-musicRED HOT CHILI PEPPERS

アメリカのミクスチャーバンド、レッチリ。オリジナルメンバーは、ヴォーカルのアンソニーとベースのフリー。ドラムのチャドもすでに在籍は長いが、このバンドで最もメンバーが入れ替わっているのがギタリストだ。その中でも、ジョン・フルシアンテとバンドの相性こそが最高、と考えるリスナーは多いはず。実際、ジョン加入後の1991年にリリースしたアルバム「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」が世界的大ヒットとなり、ワールドクラスのバンドへと駆け上った。しかし、翌年のツアー中にジョンは突如バンドを脱退。95年に新たなギタリストを迎えてアルバムをリリースすするが、この1枚限りでギタリストが脱退。いよいよ方向性が定まらなくなった時、再びジョン・フルシアンテをギタリストに迎えることに成功。誕生したのが、この曲も収録されたアルバム「カリフォルニケイション」だ。彼らにとって最大のヒット作となった。

icon-angle-double-right解散の危機

icon-youtube-playBED OF ROSESicon-musicBON JOVI

ザ・アメリカ、なバンドの一つ、ボン・ジョヴィ。80年代後半に世界的ブレイクを果たしたが、1988年から2年に渡るロング・ツアーを終えた頃には、メンバー間でのトラブルが目立つようになり、解散のウワサが立つようになった。メンバーの話し合いにより、冷却期間を設けることとなり、解散は回避されたが、1988年のアルバム「ニュージャージー」から、バンドとしてのリリースは止まったままだった。アメリカの音楽シーンはグランジ真っ只中となった1992年、冷却期間を経て、再び集まったボン・ジョヴィが、アルバム「Keep The Faith」をリリースした。収録されたロックバラード「BED OF ROSES」は、ぶれることのない、ボン・ジョヴィが進化した姿を映し出し、グランジ真っ只中でヒットにつながった。

icon-angle-double-rightあなたも、M?

icon-youtube-playCAN’T GET YOU OUT OF MY HEADicon-musicKYLIE MINOGUE

オーストラリアを代表する歌姫といえば、カイリー・ミノーグではないだろうか。1987年、ディスコサウンドでカバーした「ロコモーション」でデビューし、ストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースによる「ラッキーラブ」も大ヒット。新たなディスコクイーンの誕生、とも思われたが、一方で、マドンナのフォロワーという見え方も拭い去ることができず、その後、アイドル路線からアーティスト路線に転向するも、ヒットに恵まれることなく90年代を過ごす。潮目が変わったのは2000年。レコード会社移籍後初のアルバムがヒットし、さらにシドニーオリンピックの閉会式でのパフォーマンスも、彼女の存在感を再び世界にアピールすることとなった。そして、2001年にリリースした「CAN’T GET YOU OUT OF MY HEAD」が、ヨーロッパ各国のシングルチャートを席巻。2001年、世界で一番売り上げたシングルになった。

icon-angle-double-right鳴かず飛ばずのバンドから

icon-youtube-playSWEETEST GOODBYEicon-musicMAROON 5

カーラズ・フラワーというバンドをご存知だろうか。1994年に結成され、1997年にはアルバムもリリースしたが、セールスは良くなく、発売からわずか半年で廃盤になってしまった。そんなバンド、カーラズ・フラワーのメンバーが、のちのマルーン5のメンバーだった。カーラズ・フラワーの活動終了後、メンバーはそれぞれ大学に進学して、その中でR&Bやソウルミュージックにも触れることとなり、マルーン5のロックとR&Bを融合したサウンドが生まれることとなった。アルバム「ソングス・アバウト・ジェーン」は、先行シングルもなく、リリース当時はそこまで注目されなかったが、この「Sweetest Goodbye」が、映画「ラブ・アクチュアリー」で使われ、一気に注目を集めた。
かつてリリース半年で廃盤に追い込まれたアーティストは、2019年、NFLスーパーボウルのハーフタイムショウを担当するまでになった。

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