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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

能とマリー・アントワネットとモーツァルト

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)

先日久しぶりに国立能楽堂に出かけた。現代能「マリー・アントワネット」を観るためである。音大でピアノを学ぶ傍ら、日本音楽の講義を受けるうちに能楽にも興味が湧いて、それ以来何度となく能の舞台も観るようになったが、最近は仕事の忙しさにかまけてすっかりご無沙汰していた能の世界。それでも薪能にはイベント感覚で時々出かけていたのだが、能楽堂での鑑賞は何年か振りだった。今回の新作能は梅若玄祥と植田紳爾の演出。植田紳爾は宝塚出身の劇作家、演出家であの「ベルサイユのばら」を世に送り出した重鎮である。マリー・アントワネットは当然その「ベルばら」にも登場する主要人物なので今回の植田演出は当然の起用である。もちろんシテは梅若玄祥本人。

マリー・アントワネットのイメージといえば私などは池田理代子の「ベルサイユのばら」の漫画で植え付けられたと言っても過言ではない。わずか14歳でフランス王ルイ16世に嫁ぎ、華やかではあっても慣れない宮廷の中での生活に孤独感を深め、やがてスウェーデン貴族のフェルゼン侯との許されぬ恋に落ち、革命の運命の渦に巻き込まれていく悲劇の王妃。池田理代子の華やかな画風と、男装の麗人オスカルなど魅力的なサブキャラの登場もあって、子どもの頃にインプットされた「ベルばら」のイメージはまさに『女子』のシンボルのような存在だった。

icon-youtube-play 宝塚「ベルサイユのばら〜オスカル編」

舞台が始まる前にその植田紳爾とプロデューサーの西尾智子のプレトークがあった。そこで植田はマリー・アントワネットを能にする時に、断頭台に連れられて行った彼女の心中を想像した、と語った。「革命という名の下に、自身に罪があるわけではないのに処刑されなければならなかった彼女の無念さ、まして幼い子供を残していくことへの悲しみはどんなものだったろうか。」と。彼自身が戦争を経験した世代であり、幼くして父親を亡くしたことは植田自身の中に今も燻り続けているという。一見、日本の伝統芸能である能楽と西洋の歴史上の重要人物であるマリー・アントワネットという組み合わせはミスマッチのようにも思えるが、能は人間の運命を描いていくことでその儚さと美しさを表現するもの、とすれば彼女の人生はまさしく能にふさわしい題材と言えるのかもしれない。

実際の舞台は間狂言に当たるところで元タカラジェンヌたちが三味線をバックに演技をしたり、ワキのフェルゼン候=福王和幸が和装の上にケープのようなものを羽織って西洋のマント風に装ったり、演者がバラの花の冠を頭に乗せていたりと工夫を凝らしつつ、能の様式美に乗っ取って展開された。実験的要素も多かったがとても興味深く鑑賞した。

そのマリー・アントワネットが作った歌曲があるのをご存知だろうか。「それは私の恋人」という短いながらもこの時代らしい音楽のエッセンスを感じる愛らしいメロディー。王妃という立場を除けば、一人の女性として素直で魅力的な人物だったことが窺い知れるような歌だ。

icon-youtube-play マリー・アントワネット:それは私の恋人

またマリー・アントワネットと関わりのある音楽家、といえばモーツァルト。まだフランスに嫁ぐ前のオーストリアの宮廷で少年モーツァルトが女帝マリア・テレジアの前で演奏をした時に、滑って転んでしまった彼を助け起こしたのが、他ならぬアントワネットだったという。その際「僕のお嫁さんにしてあげる。」とモーツァルトが言ったというエピソードはつとに有名だ。

しかし今回のマリー・アントワネットを題材にした能で、私が切り離せなかったのは『死』のイメージだった。同じように『死』を纏っているのがモーツァルトの音楽にもいえると思う。彼の作品は常に愛されキャラで美しい天上のイメージに満ちている一方で、若くして亡くなった人生を感じさせるある種の暗さをも持っている。

icon-youtube-play モーツァルト:幻想曲ニ短調K397

個人的な話をすると、私の高校時代の同級生が数年前病気で亡くなった。卒業してからは正直そんなに交流が深かった訳でもないのだが、同じピアノの門下で、10代という人生で一番輝かしい時期を一緒に過ごしたという部分が大きいのか、或いは最後に病床の彼女を見舞った際の印象なのか、彼女が亡くなった時にそれまで漠然としていた『死』が私の目の前を通り過ぎた気がした。その彼女と高校生の頃よく演奏していたのがモーツァルトの2台のピアノのためのソナタK448だった。そのせいもあるのか、今回、能とマリー・アントワネット、モーツァルトという3つのキーワードで思い出したのはその友人の存在だった。マリー・アントワネットの死によってブルボン王朝は終わりを遂げたように、私も友人の死によって青春時代の終わりを告げられたような気がした。

icon-youtube-play モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ ニ長調K448

とはいえ、死は常に生と裏表である。フランス革命は自由の精神をもたらし、他愛ない女子高生の話から将来の夢までたくさんの話をした友人との思い出はいつまでも色褪せることなく、私の中に残っている。年の終わりに考える死のイメージもまた年明けとともに新しい何かにつながっていくのだと思う。

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