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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

女性指揮者アントニア・ブリコ

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)

私は結婚しているが、こうしてフリーランスとして細々と仕事もしている。住んでいるマンションも夫と共同名義だし、住宅ローンだって払っている。それなのに納得いかないのは国民健康保険の宛名である。保険料を支払っているのは他ならぬ私なのに、夫の名前で送られてくるのはいつも違和感がある。また旧姓で仕事をしていることもあって、公的な書類は名前を書き換えなければならないのも何かと不都合を感じる。日本の公的制度の問題はさておき、何が言いたいかと言うと21世紀になった現代でも女性であることはなかなか男性と対等な状態とは言い難いということだ。制度的なことだけではなく、普段の生活の中での何気ない会話や、仕事上でもそれ以外でも女性故に納得いかない思いをすることもあるからだ。

今回取り上げるのは今よりももっと女性が活躍しにくかった時代に、自分の夢を叶えるために女性であることで諦めずに人生を切り開いた人物である。その名はアントニア・ブリコ。あのベルリンフィルにもデビューを果たした女性指揮者である。

icon-youtube-play アントニア・ブリコ

女性指揮者は現代では決して珍しくはなくなった。シモーネ・ヤングは男性顔負けのブルックナーを得意としているし、バーンスタインや小澤征爾の教えを受けたマリン・オールソップ、古楽の世界ではエマニュエル・アイムがベルリンフィルデビューも果たしている。それでも世界の名だたるオーケストラの主要ポストを務める女性指揮者は皆無に等しい。女性演奏家の活躍に比べ、指揮者というポジションにはやはり男性がふさわしいという思い込みがいまだに壁を作っているのではないだろうか。アントニア・ブリコはそのパイオニアともいうべき存在のオランダ人の指揮者で今年が没後30年に当たる。

icon-youtube-play シモーネ・ヤング

icon-youtube-play エマニュエル・アイム

その彼女の半生を描いた映画が9月に公開される。監督はマリア・ペーテルス。彼女も同じ女性としてアントニア・ブリコのパイオニア精神に魅せられてこの映画を撮ったという。実は1974年にジュディ・コリンズとジル・ゴットミローの二人がアントニア・ブリコのドキュメンタリー映画を製作し、アカデミー賞にノミネートされている。もちろん今作はフィクションで、映画的なストーリー設定になっている部分もあるけれども、それはそれで考えさせられるポイントがいくつもある。指揮者を本格的に目指す中でアントニアが恋人である男性との結婚をとるか、キャリアをとるかで悩む場面は、仕事をする女性たちにとっては共感することも多い話であろう。また教えを受ける指揮者の音楽教師からセクハラを受ける場面などは、現代でも問題になっている「Me too運動」につながっている。またアントニアを支えるナイトクラブのミュージシャンである友人のロビンを演じるのは自身もトランスジェンダーを公言している俳優のスコット・ターナー・スコフィールドである。

物語は1926年のニューヨークから始まる。オランダ移民の貧しいアントニアは指揮者になることを夢見て、学費を貯めるためにナイトクラブでピアノを弾いてお金を稼ぐ。なんとか苦労して音楽学校に通い始め、アムステルダムを経てベルリンに渡り音楽大学の指揮科に入学するのだが、出生の秘密、女性指揮者へのバッシング……様々な苦難が彼女を襲う。また当時の男社会であるオーケストラから女性指揮者に従うことが我慢ならない、とリハーサルをボイコットされそうになった時に、先導したコンサートマスターのヴァイオリンを取り上げ、彼女が団員たちに向かって語った言葉には胸を打たれた。「あなたはこの楽器がなければ演奏できない。でも私の楽器はオーケストラであり、あなた方がいなければ私は演奏することができない」と。オーケストラは音楽を奏でるために彼女にとってどうしても必要なものだった。幾度も頭を下げ続けなければならなかったであろう、現実のアントニアの心中を思うとたまらなくやるせない気持ちになる。

icon-youtube-play 映画「レディ・マエストロ」

当時オランダの名門オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席だったウィレム・メンゲルベルクやバイロイト音楽祭で有名なドイツのカール・ムックなど往年の実在の巨匠指揮者も登場するが、メンゲルベルクを演じているハイス・ショールテン・ヴァン・アシャットが本人と瓜二つなのに驚いた。

icon-youtube-play ウィレム・メンゲルベルク

劇中にはクラシックの名曲が数多く登場する。マーラーの交響曲第4番、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、アメリカ組曲、エルガー「愛の挨拶」など。

icon-youtube-play ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー

正直、音楽の使い方はもう少し捻って欲しかった気がしないでもない。またアントニアを演じるクリスタン・デ・ブラーンがとても美しいので、その恋人フランク役のベンジャミン・ウェインライトとのラブストーリーも物語に華を添えていて、女性のサクセスストーリーとして楽しむこともできる。

しかしそれ以上にこの映画では、女性が男性と真の意味で対等な立場であることがまだまだ少ないということの現実に気付かされるのである。

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