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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

連休の巣篭もり読書

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

あっという間にゴールデンウィーク突入である。去年の今頃は連休前の納品ラッシュをこなしつつ、この季節の風物詩ともなっている「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」の公演を仕事の合間に聴きに行っていたものだが、あの時にはまさか次の年に未知のウィルスが原因で、自分だけでなくほぼ世界中の人達が自宅で過ごすことになろうとは、そして世の中からライブコンサートがなくなってしまうことになるとは夢にも思わなかった。何が起こるか本当にわからないものである。

この先、状況がどう収束するのか、無事にコンサートやライブが行われるようになるのか、考えると幾重にも不安に苛まれてしまうのだが、エッセンシャルワーカーや医療従事者の人達を助けるためにも、今はただこうして家で過ごすことだけが私達に唯一できることなのだ。

ステイホームでエンターテイメントを楽しむのにはライブストリーミングが主流になりつつある。先日はMETが大規模なガラ・コンサートを配信したのもその好例だ。アンナ・ネトレプコやヨナス・カウフマンなどスター歌手達が自宅から参加。オペラ合唱などは事前に録音されたらしいのだが、さすがMETと唸らせられたのはきちんと音質も調整してあって聴き応え十分。ライブが叶わない今、こうした取り組みは文化を絶やさないためにも、また多くの寄付を集めるためにも必要なことだろう。しかしながらオンデマンド配信もあるとはいえ、日本時間では深夜から。劇場に行って鑑賞するのとは違って自宅だと何かと集中できない事情があったりするのも確かである。

icon-youtube-play METアット・ホーム・ガラ

それに比べると時間の合間に断続的にできるのが読書である。連休の前後に読んだ本を少し並べてみたいと思う。

外出自粛要請の最中にもスタジオに何度か出向かなくてはならない場面がある私なのだが、先日の夜、仕事を終え、人気のない夜のオフィス街を駅に向かって歩いていると、何か黒い物体が目の前を横切った。ビルの谷間の闇の中に消えていったのは……そう、鼠だった。飲食店が軒並み閉店しているので、夜中に街中を徘徊しているのだ。まるでカミュの小説「ペスト」の世界である。今は書店で異例の増刷だと聞く。この日以来再読しているのだが、感染症による人々の分断、孤独感は時代が違っても同様である。現代ではインターネットやSNSの存在によってその寂しさを埋め合わせできるだけ、少しはましなのだろうか。

もう1冊再読しているのはトーマス・マンの「ヴェニスに死す」。余りにも有名なヴィスコンティの映画版はマーラーの音楽でもお馴染みである。但しこちらはパンデミックそのものというよりは、芸術家の老いと美への執着心がクローズアップされている。思えば人々が郊外へ逃げ出そうとしたり、自分の利己的な欲のために死を招く、といった結末は間接的に現代への警鐘とも捉えることができる。

icon-youtube-play マーラー:アダージェット

そして少し前から何冊か集中的に読んで新鮮だったのが、ブレイディみかこ氏のノンフィクション。イギリスで保育士として働いていた彼女ならではの目線で底辺で暮らす人々の日常が描かれている。貧しかったり、障害があったり、社会的弱者やマイノリティと呼ばれる人達とリアルに関わる現場感覚から生まれる文章には力強さと説得力がある。しかしそこには独特のある種クールな割り切った考え方もあって、それは日本人だとか東洋人だとか女性であることだとか、欧州という社会の中で自分のアイデンティティと様々な場面で対峙せざるを得なかった著者の処世術のようなものも感じられる。

既に本屋大賞などいくつもの賞を受賞している「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」という本のタイトルは、彼女とアイルランド人の夫との間に生まれた息子が、友人達との交友関係の中で壁にぶち当たった時に、ノートに何気なく走り書きしたというメモから採ったという。実に上手い、センスのあるコピーだと思った。彼は学校生活を送る中で、様々な境遇の多様な属性の友人達と信頼関係を築いていくのだが、我々大人よりもはるかに柔軟性に満ち、走り書きのコピーのセンス同様に軽やかにその壁を乗り越えていく。その様子はまさに魔法のような驚きと覚醒をもたらしてくれる。

icon-youtube-play セックスピストルズ:ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン

パンデミックの現実の中で生まれた数々の差別は、もともと人々の心に巣食っていた負の感情が放出されただけに過ぎない。最近は「多様性」という言葉だけが一人歩きしているようにも思える。LGBTQのように、ワードとしてわかりやすく発信するのは素晴らしいことだが、それを受け入れるにはもっと理解し、覚悟も伴うことなのだということを私達は今一度心に刻む必要があるだろう。

ゴールデンウィークが明け、これからもし新型コロナウィルスが一旦収束することになったとしても、経済や生活、そして文化が今まで通り回復するまではまだまだ時間を要するだろう。その時に備え、必要な知識と情報を本棚からできるだけ拾っておきたいと思っている。

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