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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

ブルーインパルスとモーツァルト

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

先日、ブルーインパルスが東京上空を飛行したニュースが大きな話題となった。その日自宅で仕事中だった私は直前にこのニュースを知った。既に夏を思わせる強烈な紫外線の中に出て行くには、薄い黒のニットにショートパンツという軽装、当然化粧もしていなかった。ちょっと勇気がいったのだが、とりあえずつばの広い帽子だけ被って川に向かって飛び出して行った。

仕事が詰まっていたのに正直なぜそんな衝動的な行動に出たのかわからない。ただその日は抜けるような青い空が広がり、家でちまちまと編集作業をしているのがとてもつまらないことに思えて、気分転換を兼ねて見物してみようという気になったのである。幸い私の住んでいるマンションの近くには川があり、見晴らしの良い土手から眺めるには絶好のロケーションでもあった。

既にたくさんの人がスマホを片手に今か今かと上空を見上げている。とは言っても密閉された空間ではないし、土手は広いのでソーシャル・ディスタンスは十分過ぎるほど確保できている。こんなに自然豊かなエリアが近くにあるのに、普段は家にいてばかりで、川の近くに来ることは滅多にない。年に一度行われる花火大会の時くらいだろうか。花火大会は時間的には夜間だし、さすがにもっと人が密集しているので、自然を堪能するよりは夜空の花火ばかりを眺めてしまうのだが、虫の声がバックで流れているのはなかなかいい感じだ。これは都心のマンションでは味わえないアンビエントな夏の空間である。

icon-youtube-play ディーリアス:河の上の夏の夜

そうこうするうちに遠くから白いスモークを描きながら徐々にブルーインパルスが姿を現した。途端に歓声とともに人々が上空を見上げる。サングラスを通しても眩しい日差しの中に現れた機体は、青い空を背景に白い雲の上をゆったりと旋回していった。高い空に響く遥かなエンジン音。その完璧な色彩のパレット上に美しい弧が描かれるのを見た時、私の心も空に解けていった。そしてこの光景を今、まさにみんなが目に映していること、同じ気持ちを共有していることを嬉しく思うのと同時に、どこか不思議な気持ちになった。

思えば緊急事態宣言が出てからこんなに解放された空間を味わうことはなかった。いつも自宅の中に籠っていて、インターネットで情報収集したり、料理をしたり、本を読んだりして、それなりにインドア生活を満喫していたような気がしたのだが、コロナ禍で日々不穏なニュースが飛び交う中、得体の知れないストレスが知らず知らずのうちに私の周りを取り囲んでいた。ブルーインパルスの飛行はそのストレスの重いヴェールを取り払ってくれた。税金の無駄遣いとかいう批判もあるようだが、これを体験した私の感覚としては多くの人に希望を与えたのではないだろうか。今回の飛行は献身的な働きを続ける医療従事者への感謝のフライトだということだ。実は飛行ルートは線をなぞると7つの感染症指定病院の上空を飛び、鉗子(ハサミ)の形をしていたという。

icon-youtube-play ブルーインパルス

この時思い出した二人の友人がいる。一人は昔、一緒に番組制作をしていた仲間で現在看護師をしている変わり種のM。少々感情の起伏が激しいところもあるが非常に面白い人で、日夜医療の現場で奮闘している。彼女は飛行機ファンでもあり、このニュースにいたく感激していた。当日飛行を見られなかったことを嘆いていたが、今頃はきっとブルーインパルスの動画を見て、感動してむせび泣いていることだろう。

もう一人はピアニストの稲岡千架さんである。彼女とは番組のゲストに出演してもらってから共通の友人を介して親しくなったのだが、今、彼女は白血病と闘っている。先日稲岡さんの演奏するモーツァルトのピアノソナタを収録したアルバムが2枚発売となった。早速聴かせてもらったのだが、ベヒシュタインのピアノを用いたその演奏はドイツ、ノイマルクトのライツターデルで録音されたもの。丁寧なタッチと一音一音を大切に育む彼女のピアノは、モーツァルトのような音色の質が問われる音楽がぴたりとはまる。そして一見穏やかな感性の中にはっきりと浮かび上がるのはしなやかな力強さである。

icon-youtube-play 稲岡千架

今では決して不治の病ではなくなった白血病だが、その治療には一度も入院した経験のない私などには想像もつかない苦痛があるに違いない。況してやコロナ禍で家族とも面会謝絶、個室隔離という環境を考えると精神的にもどんなにか辛いことだろう。それでも彼女はピアノを弾くことを諦めない。除菌できない楽器の持ち込みもなかなか厳しいらしいのだが、入院中でも弾けるようなピアノを探している。また病室で一人でいる時間も読譜をしたり、音楽と向き合うために使っているという。どんな状況でも前向きな彼女の姿勢には頭が下がる。そしてそんな笑顔を絶やさない稲岡さんに送られる惜しみないエールは、彼女にもらった幸せを返したいと思う人々がたくさんいることの証でもある。

モーツァルトは明るい音楽の裏に潜む死のイメージが拭いきれない作曲家だと思っていたのだが、稲岡さんのモーツァルトを聴くと、しっかりとした足取りで生きることに向かって道を歩いていく彼女の足跡を辿るような音楽に思えてくるのである。

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