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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

左手のピアニスト

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

アメリカのピアニスト、レオン・フライシャーが亡くなった。

私にとってフライシャーは左手のピアニスト、というイメージだ。1928年生まれの彼はわずか10歳で往年の名ピアニスト、シュナーベルに認められ、1952年のエリザベート王妃国際コンクールでアメリカ人として初の優勝。そのキャリアは華々しく始まったが、わずか10年ほどで局所性ジストニアを患い、右手の自由を失ってしまったからだ。局所性ジストニアは指などの筋肉を繰り返し動かすことで痛めてしまうことが原因と考えられている病気で、音楽家に比較的多いという。しかしそれ以降は左手のピアニストとして活動を開始し、教育活動や録音も積極的に行なっていた。初めてその録音を聴いた時は、左手だけでも見事に音楽として聴かせる彼のピアニストとしての才能だけでなく、そもそも左手だけで弾く作品があることにも驚いた。何しろ当時私が認識していたのは有名なラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲くらいだったから。

icon-youtube-play ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

この協奏曲は、第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの依頼で作曲されたものだ。有名な哲学者、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインはパウルの2歳下の弟である。ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれたパウルは、ヴィトゲンシュタイン家に出入りしていた数々の文化人たちと交流があった。そこにはブラームスやマーラー、リヒャルト・シュトラウスなど当時ウィーンの楽壇を代表する錚々たる音楽家が顔を揃えていたという。パウルは1913年にはピアニストとしてデビューしていたものの、翌年に第一次世界大戦が勃発し招集され、ポーランド戦線で負傷。ついには右手を失うことになるのである。

それからは左手のピアニストとして活動することになるが、何よりも左手演奏のための作品をたくさんの作曲家に依頼したことは彼の大きな功績と言っていいだろう。先述のラヴェルの他、ブリテンの「ディヴァージョンズ」、コルンゴルトの「左手のための協奏曲」、リヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲余禄」、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第4番」などもヴィトゲンシュタインの依頼を受けて書かれたものである。

icon-youtube-play ブリテン:ディヴァージョンズ

icon-youtube-play コルンゴルト:左手のためのピアノ協奏曲

しかし全ての作品にヴィトゲンシュタインが満足していた訳ではなかったらしい。いろいろ内容に文句をつけたりしていて、プロコフィエフの協奏曲などは一度も演奏しなかった。また実はヒンデミットも管弦楽を伴った協奏的作品を書いていたが、やはりヴィトゲンシュタインは演奏することなく世を去り、遺族も封印していたためにようやく初演を行なったのは、なんと先頃亡くなったフライシャーで2004年になって日の目を見たという作品もある。

左手のピアニストとして活躍している人の中には日本人もいる。舘野泉はもともと両手のピアニストとして、フィンランドの作曲家の作品の紹介などにも熱心に取り組んでいた。知られざる存在だったセヴラックの魅力的な作品をコンサートなどで耳にするようになったのも彼の尽力によるところが大きい。しかしそんな舘野も2002年にコンサート中に脳溢血で倒れ、右半身に麻痺が残ってしまった。それ以降は左手のピアニストとして、精力的な演奏活動を開始し、この分野の新作の委嘱にも熱心に取り組んでいるのは、メディアでも大きく取り上げられている。

icon-youtube-play 舘野泉

古くはヴィトゲンシュタイン、またフライシャーや舘野などの存在によって左手のための作品は確実に世に知られることとなったが、もちろんこれらの作品は両手を自由に使えるピアニストが演奏することもある。名だたる作曲家たちが趣向を凝らして書いたこれらの作品に是非一度耳を傾けてみて欲しい。一聴しただけでは片手だけで演奏しているとは思えぬほどである。また彼らのような優れたピアニストの演奏を聴けば左手だけでこんなにも豊かな音楽を生み出すことができるのか、と驚かされるだろう。近年ではヴィトゲンシュタインの名を冠した左手のためのピアノコンクールも開催されていて、参加者は特に障害の有無を問わず挑戦することができる。

しかしフライシャーの話に戻すと彼は、晩年になってからボトックスという美容整形でも取り入れられる治療法を用いることで右手を回復させる。その時発表された「Two Hands」というアルバムのタイトルには、両手のピアニストとしてようやく復活することができた喜びもまた、ひしひしと感じられるのである。何十年もの間、動くことのなかった彼の右手から生まれ出る音には、失われた時間の深い哀しみ、同時に音楽を愛おしまずにはいられない情熱が宿っていた。それはコンクール優勝から何の故障もなければ、20世紀に燦然と輝いた数多の大ピアニストたちと同じ街道を歩んでいたであろう彼とは全く違った姿だったかもしれない。

左手のピアニストだったフライシャーが両手のピアニストとして復活した、そのCDに収められたのはシューベルトの最後のピアノソナタD.960だった。敢えて最後には左手の作品ではなく、このソナタを聴きつつ、フライシャーの音楽と人生に祈りを捧げたい。

icon-youtube-play シューベルト:ピアノソナタD.960

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