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Hopeless Love

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

2つのフィデリオ

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

今年はベートーヴェンの生誕250年の記念年である。当然大々的に各種コンサートや音楽祭が開催される予定だったが、このコロナ禍でほとんどが中止に追い込まれてしまった。最近になってようやく少しずつ規模を縮小することでコンサートも再開されつつあるが、本来ならばもっと多くの人達の耳にベートーヴェンの音楽が届くはずだった。なかでも深刻なのはオペラである。オーケストラ、舞台上での演技と歌唱、合唱を伴う大規模な舞台となれば当然幾重にも問題がある。そしてベートーヴェンの唯一のオペラといえば「フィデリオ」。先頃2つの「フィデリオ」に接する機会があった。今回はそのことについて書いてみたい。

「フィデリオ」の舞台はスペイン。政治犯として牢獄に繋がれた夫フロレスタンを救出すべく、妻のレオノーレは男装をしてフィデリオと名乗り、看守となって夫救出の機会を伺う。男装をしたレオノーレに恋するマルツェリーネや彼女を想う門番のロッコなどは登場するものの、恋愛模様は殆どクローズアップされず、ひたすら貞淑で献身的に夫を救い出そうとする妻の物語。舞台は牢獄だし、フロレスタンは最初自分を助けに来てくれた妻にも気付かない。最終的には正義の味方である大臣が登場することで刑務所長のピツァロの悪事が暴かれ、フロレスタンは解放されて勝利と愛の力が讃美されて幕となる。

なんというかオペラとしてはかなり地味である。華やかなドラマもないし、アリアも立派なのだが情緒的というより英雄的。ストーリーの構成も人間的な葛藤や心理に基づいて描かれているわけでもないので感情移入しにくい。

「フィデリオ」についてベートーヴェンは様々な事情で何度か改訂を繰り返している。タイトルも当初は「レオノーレ」としていたため、その序曲として作曲されたレオノーレ序曲第3番などは現在オーケストラ曲のレパートリーとして独立して演奏されることの多い名曲だ。これを聴いてもわかるように、ベートーヴェンは本来器楽曲を得意とする作曲家。交響曲やピアノソナタ、弦楽四重奏曲などに比べるとこの「フィデリオ」、人気の点でもいまひとつなのは頷ける部分がある。

icon-youtube-play レオノーレ序曲第3番

しかし逆に言えば演出の余地がたくさんある作品だともいえる。今回コロナ禍で劇場が閉鎖になる3日前に上演された、コヴェントガーデンのロイヤルオペラでの「フィデリオ」をライヴビューイングで観ることができた。本来ならフロレスタンをドイツのスターテノール、ヨナス・カウフマンが演じることになっていたのだが、降板してしまったため、ディヴィッド・バット・フィリップが代役を務めた。正直、カウフマンの存在感に比べると多少物足りないのは否めなかったが、歌唱そのものは立派だった。しかし何と言ってもレオノーレを歌うノルウェーのソプラノ、リーゼ・ダヴィドセンが素晴らしかった。力強さと同時に可憐さをも残しており、健気なレオノーレを好演。体格も立派なので、華奢な印象のフロレスタンとの組み合わせは夫を救出する勇ましい妻、という設定においてはぴったり。(ムードがあるかといえば別の話だが)

icon-youtube-play ロイヤルオペラ「フィデリオ」予告編

バイロイトなどでも活躍するトビアス・クラッツァーの演出は第2幕でガラッと現代的になり、鎖に繋がれたフロレスタンはそのままに、彼を囲む人々が現代の衣装を纏っている。その群衆の表情がスクリーン上にも映し出され、時代の捻れは謂れなき罪を着せられたフロレスタンの幻想でもあり、現代への皮肉にも通じるような気がした。劇場閉鎖の直前という状況はオーケストラにも不安があっただろう。時折僅かに不安定になるアンサンブルを巧みにまとめあげたパッパーノも見事だったが、それに必死に食らいついていたオケの想いは手に取るように感じられた。やっぱりベートーヴェンは器楽だなぁ、と再認識してしまう結果となってしまった感もあるけれど。

そしてもう一つは日本の二期会のオペラ「フィデリオ」。こちらは正真正銘〈生〉の新国立劇場での舞台上演。私はゲネプロしか見学できなかったので、あまり詳細には書けないのだが、演出は深作健太氏。あの映画監督深作欣二の息子で、ドイツ音楽とオペラをこよなく愛する若手演出家の注目株である。彼の演出は二期会でも度々上演されており、いつも独特で凝った世界観を見せてくれるのだが、今回はコロナ禍におけるいくつもの制限の中で、演出も変更せざるを得なかったようだ。フロレスタンが繋がれる牢獄はナチス・ドイツのアウシュヴィッツ収容所になり、第二次大戦の悲劇と戦後75年というキーワードがそこかしこに現れる。アイディアが迸り過ぎて少々まとめきれてない印象ではあったのだが、ゲネプロと言えども出演者達の歌唱は真剣そのもの。オーケストラは舞台まで高さを上げることで密を避ける工夫がされており、そのお陰か音は良く響いて聴こえていた。

icon-youtube-play 二期会スペシャル・ガラ・コンサート「フィデリオ」より

かくして2つの「フィデリオ」は250年後、まるでベートーヴェンの人生そのままに前代未聞の苦難の中で上演されることとなったのである。

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