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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

現代の魔性、ルル

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

今まさに私はワクチン接種2回目に備えて、怒涛の月末仕事の真最中である。

実は最近月末はスタジオ近くのホテルに泊まることも多い。コロナ禍でホテルもテレワークプランを設けていたりして、通常時よりかなりリーズナブルな料金で設定されているのがありがたい。そして職場から徒歩数分でベッドがあるというのはかなりの安心感である。コンサートが終わってからでも残り仕事を片付けることができるので、精神衛生上もすこぶるよろしい。というわけでこの8月もホテルステイをしながら仕事とコンサートを梯子しているのであった。

前回サントリーホール・サマーフェスティバルのアンサンブル・アンテルコンタンポランについて書いたが、同じ週にオペラのゲネプロの案内が届いた。それは東京二期会の公演で20世紀オペラの最高峰ともいうべき作品、アルバン・ベルクの未完の大作「ルル」。奇しくもこの「ルル」の初演の指揮はEICの創設者ピエール・ブーレーズである。

アルバン・ベルクは19世紀末のオーストリア、ウィーンに生まれ、1900年代初頭に台頭した新ウィーン楽派と呼ばれる前衛的作風の音楽グループに属する作曲家だ。裕福な家庭に生まれ、早くから音楽や文学に親しむ早熟な少年だった。家に出入りしていた女中と関係を持ち、10代で私生児を持つなど、女性に溺れる傾向は「ルル」に反映されているようなところもある。また23歳の時に喘息を発病し、この23という数字を生涯運命の数字として意識し、作品に投影したりもする。やや空げな眼差しの肖像写真を見ても、どこか芸術家気質の破滅型な人、という印象だ。「ルル」というオペラはそんなベルクが書いた非常に退廃的な内容である。ベルク自身はこの作品が完成をみる前に50歳で人生を終えている。

icon-youtube-play オペラ:ルルbyバイエルン国立歌劇場

その後補筆完成版も上演されるなど、それだけに演出によってまるで違う作品のように変わってしまう「ルル」なのだが、今回の二期会の公演は世界的オペラ演出家で、ドイツを拠点に斬新な舞台を作り上げることで話題のカロリーネ・グルーバーが手掛ける2幕版の新制作。そして指揮はヨーロッパの有名歌劇場で活躍するフランスの俊英、マキシム・パスカルだ。しかも二期会としては実に18年振りの上演ということで期待も高まる。

会場は新宿文化センター大ホール。大久保寄りにあるので新宿からだと歩くには少し距離がある。8月の終わりとは言え、最高気温36度だったその日、夕刻でもまだその気怠い暑さが残る中、時短のためもあり新宿からタクシーで向かう。新宿文化センターがある辺りは学生時代デパートでアルバイトをしていた頃、その倉庫があってお使いで何度か通り掛かったことがある。その頃は東新宿独特のうらぶれた雰囲気がかなりあって、一人で歩くのは少々不安なくらいだった。しかしルルの育った街を思わせるかつての東新宿も今では別の顔になっていた。会場そのものは2008年にリニューアルしているようで、ホール内は昔の記憶よりきれいで新しく、心なしか音響も良くなっているような気がした。

ゲネプロ開始。貧民街で育った少女ルルは、シェーン博士に拾われ彼好みの女性に育て上げられる。愛人関係を続ける二人だが、シェーンが高級官僚の娘と交際を始めたことでルルも初老の医事顧問と結婚。しかし家に出入りしていた画家や、同性愛者の伯爵令嬢、貧民街時代の男達などが次々とルルの虜となり、破滅していく。その後ルルとシェーンは結婚するが、シェーンの息子のアルヴァまで彼女に魅了され、嫉妬に狂ったシェーンはルルに拳銃で自殺を迫る……。

冒頭からルルの等身大フィギュアが映像で登場する。男を翻弄し、運命を狂わせる魔性の女「ルル」の壮絶な人生とドラマをよりエロティックに強調しているようにも見えたが、一方で何体ものフィギュアが舞台に現れ、もう一人のルルの内面を現すダンサーを登場させるなど、数々の男達に性的な対象として弄ばれる弱者としての「女性」の存在感を暗示する意図も垣間見える。フィギュアを用いた演出も現代のオタク的なカルチャーと閉塞感を象徴しているようで興味深い。コロナ禍ということも影響するのかもしれないが、ルルが男に媚びるような演技をしていなかったのも演出の肝、というところだろうか。思えばこのオペラはジェンダー問題もクローズアップされる現代に於いて、非常に演出しがいのある作品と言えるのかもしれない。2幕版ということで最後はルルの分身であるダンサーの踊りが続いたことで全体としての悲劇的な絶望感はやや薄れ、女性の悲哀、という結末に落ち着いていたような感もある。

しかし敢えて言えばセンセーショナルな部分を強調するのは容易い。どうしてもそのストーリー展開と演出にばかり気を取られがちだが、いざ舞台が始まるとゲネプロとはいえ、出演者たちの本番さながらの力の込もった歌唱に圧倒された。ちなみに私が聴いたのは初日のキャストである。またピットに入っていた東京フィルハーモニー交響楽団が、スコアの重厚な響きをフルに鳴らしていてベルク独特の世紀末感を醸し出す。それらが相まって現代の「ルル」の魅力が一層増す舞台になりそうだ。

icon-external-link 東京二期会(http://www.nikikai.net/lineup/lulu2020/index.html)

本番は8/28(土)、8/29(日)、8/31(火)の3日間。無事に開幕となって欲しいものである。

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