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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

ラジオディレクターの誕生日

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

私事だが、先日誕生日を迎えた。

しかし記念日も大人になれば当然、仕事や日々の雑多なことに埋もれてしまうものだ。それでもついこの間までは、気のおけない仲間と誕生日にかこつけてホームパーティーをしたり、食事に出かけたりという楽しみがあったが、今ではそれもなかなか難しくなってしまっている。そこで今年は「お一人様誕生会」をやろう、と思い立って少し前から計画を立ててみた。

まずは自らバースデーケーキを注文。フルーツが素晴らしく美味しいパティスリーの季節限定、葡萄のショートケーキをネットで予約。これを誕生日前日の夕方、仕事終わりに受け取りに行き、前夜祭と称して自宅で禁断の甘い味をたっぷりと味わった。

icon-youtube-play パティスリー・アサコイワヤナギ

誕生日当日の夜はコンサートや展覧会に行こうと考えていた。すると自宅からも程近い二子玉川で開催される薪能があるのを発見。実は以前から気になっていたものの薪能はロケーションが重要と考える私は、ショッピングセンターの中、というのが引っ掛かっていたのだが、よくよく調べるとビルの5階に見晴らしのいい緑の広場があるらしい。しかもコロナ禍での開催なのでかなり人数を絞っているとのこと。薪能はもともと鑑賞用に用意された場所ではないので、席によっては前の人の頭が大きくて見えない、という悲劇も度々勃発するが、それならゆっくり鑑賞できそうだ。メインの演目は「葵上」。しかも〈梓之出〉という特殊演出付きのヴァージョンというのも面白そうである。

しかし当日は私の雨女っぷりが発揮され、台風の影響で今にも雨が降り出しそうな雲行きだった。主催者が公演の決定を数時間前にウェブサイトで告知することになっていたが、天気予報も刻々と変わり、判断がとても難しかったのか、開演の決定は1時間半前だった。職場の半蔵門から向かうつもりだった私は、既に仕事を片付け準備を整えていた。野外での薪能はどんなに真夏の夜でも意外と冷えるので少々オーバーなくらいに寒さ対策をしておく必要がある。この日は日差しもなく涼しかったので当然パンツスタイル。天気の事情もあるので、ある程度カジュアルでも許されよう。ジーンズと昼間の仕事中はTシャツにジャケット。厚手のパーカーを間に着込んで調節することにした。

icon-youtube-play 二子玉川ライズ薪能2017

二子玉川駅前のショッピングセンター「ライズ」はかなり広範囲に渡って建っており、比較的近所とはいえ、まだまだ足を踏み入れていないエリアもあることに気付く。時々利用する映画館や蔦屋家電のあるビルのエレベーターを上がると急に開けたエリアが広がる。そこがルーフガーデンである。商業ビルの谷間にエアポケット的に存在するその広場に舞台が設えられていた。座席の間隔は隣の席とも1メートル以上ある。台風の湿り気を帯びたやや強い風が吹いて揚幕がはためいている。今のところ暑くも寒くもなく快適だ。座席にはプログラムと突然の雨用のビニールコート、缶入りのお茶とコーヒーのお土産まで入っている。商業施設内の開催だけにサービスも満点である。

簡単な解説の後、いよいよ仕舞の「船弁慶」。しかし始まった途端にポツポツと雨が降り出した。なんとも最悪のタイミングである。周囲の人が慌てて袋の中からビニールコートを取り出した。客席全体が一斉にガサガサという物音を立て、かなり耳障りでこれには閉口してしまった。演者も気を削がれてしまうだろう。しかし若き演者、長山凛三さんは臆することなく集中していた。まだ10代ということでその身のこなしは若々しく、きりりと引き締まった表情とともに長刀を振るう姿は勇ましくも軽やかで、なんと舞台映えすることだろう。能の世界も確実に世代交代していることを感じた。


icon-picture-o 仕舞「船弁慶」より(長山桂三氏より提供)


icon-picture-o 仕舞「船弁慶」より(長山桂三氏より提供)

素晴らしい舞に空も勢いを沈めてしまったらしく、雨は出だしの一瞬だけで後半は持ちこたえた。ただ続く狂言「仏師」はコミカルなやり取りをもう少したっぷり楽しみたかったのだが、ややテンポが早いような気がしたのは、またいつ降り出してもおかしくないという空模様で、慌ただしい雰囲気だったせいだろうか。

最後は能「葵上」。タイトルロールの葵上は光源氏の正妻で病に伏しているが、それは舞台上に一枚の小袖が置かれただけで表現される。この簡素な演出で、般若の面をつけたシテが小袖の周りで舞う。すると源氏の愛人である六条御息所の生き霊(シテ)が嫉妬に苦しむ様子がまざまざと伝わってくる。それは重く垂れ込めたこの日の雲のように、御息所の心の中に渦巻いている情念そのものだ。偶然にも自然の背景が演目にリンクして思い掛けない演出効果。これが薪能の醍醐味である。


icon-picture-o 能「葵上」より(長山桂三氏より提供)


icon-picture-o 能「葵上」より(長山桂三氏より提供)


icon-picture-o 能「葵上」より(長山桂三氏より提供)


icon-picture-o 能「葵上」より(長山桂三氏より提供)

雨もそれ以上酷くなることなく無事終演となった。翌日の公演は雨で中止となってしまったそうなので、私のお一人様誕生会はなかなか有意義だったといえよう。

さて、クラシック音楽のコラムなのに音楽が何もないぞ、というツッコミがありそうなので、最後に同じ誕生日である作曲家ユン・イサンのオーボエのソロ曲「ピリ」を。曲名もそうだが、冒頭の部分はちょっと能管の響きと似ているかもしれない。

icon-youtube-play ユン・イサン:無伴奏オーボエのためのピリ

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