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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

クセナキスと日本

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

梅雨入り目前のどんよりした天気が続く。世の中は緊急事態宣言の最中ではあるけれど、ある程度の日常生活においては以前と変わらないような風景が目の前にある。

そんな6月のある日、久しぶりにめぐろパーシモンホールに出掛けた。比較的私の自宅から近いのだが、都立大学駅からはやや距離があるので天気が悪いとちょっと億劫でもある。でも広い敷地を見渡すガラス張りのホールのロビーは開放感があって、辿り着いてしまえばとても居心地のいい空間だ。なんとか曇り空を保っていたので駅から傘を差すことなく歩き出す。柿の木坂を上って行くと軽く汗ばむくらい蒸し暑い。目黒区の施設でもある「めぐろ区民キャンパス」の一角にあるパーシモンは時節柄、新型コロナのワクチン接種会場にもなっていて、その看板を見た途端、やはり一見平和そうに見えた駅前の雑踏もコロナ禍に変わりはないのだ、という現実を再認識する。

icon-youtube-play めぐろパーシモンホール公式チャンネル

コンサートは打楽器奏者の加藤訓子さんを中心とした「クセナキスと日本」。

ヤニス・クセナキスはルーマニア生まれの作曲家。名前の通りギリシャ系であり、大学では数学や建築を学んでいる。建築はコルビジェの弟子でもあったという。学生時代は第二次大戦の最中にレジスタンス運動に身を投じて顔の左半分と耳に傷を負い、その後はフランスに渡りアルツハイマー病で作曲が不可能になるまで20世紀を代表する現代作曲家として活躍した。その波乱万丈な生涯を軽くなぞるだけでも、彼の作品の中にその凄まじい人生と歴史の断片を聴き取ることができる。加藤さん自身が書いたプログラムノートにはこう書かれている。

「一瞬の隙もないほどの厳しさの中、時にユーモア溢れ、懐かしいメロディや土着的な人間臭さを感ぜずにはおれない。突如数字とポリリズムを突きつけられ、理性を強固に維持させる」

icon-youtube-play ヤニス・クセナキス

クセナキスは日本との関わりも深く、日本の財団からの委嘱作品も数多い。1970年の大阪万博に来日。晩年1997年には京都賞も受賞し、日本の芸術にも高い関心を寄せ、特に「能」には憧れを抱いていたとされる。そうした中で実現した今回の「クセナキスと日本」のプログラムはそんな両者の関係性をあらゆる角度から詳らかにした大変に充実した内容だ。

残念ながら私は時間の都合でそれらを体験できなかったのだが、小ホールでは早々にチケットが完売だったピアニストの高橋アキやヴィオラの般若佳子らのソロ演奏、大阪万博で公開されたエレクトロ・アコースティック作品のインスタレーション「響・花・間」も再現された。またロビーフロアではコンサートの合間に若手奏者たちによる「オコ」のパフォーマンスもあった。

大ホールでは今回のメインプログラムともいえる「18人のプレイアデス」。

始めに加藤訓子さんのパーカッションと能楽師、中所宣夫さんの舞で構成された「ルボンと舞」。静まり返った舞台に二人が登場してくると、通常なら拍手が起こるところだが、厳かな雰囲気にその静寂を壊してはならない、という意識が働く。これはまさに能の始まりの雰囲気である。しかしパーカッションが鳴り響くと、加藤さんの特徴でもある緩急自在で、その豊かなヴァイブレーションの音世界が舞台を満たす。その瞬間はどちらかというとリズムが空間を支配し、ともすれば舞は二次的な扱いになるかと思いきや、中盤から能のミニマムな所作に宿る深いエネルギーにパーカッションが伴奏のように感じられる瞬間もあった。中所さんが正座で舞を終えると一瞬の静寂の後にコンサートの開放感が戻り、やがて拍手が起こる。動と静が拮抗しつつも、それは背中合わせに見事な調和を携えていた。

icon-youtube-play 「ルボンa.b.」by加藤訓子(Perc)

続いては若手の奏者18人が奏でる「プレイアデス」。打楽器の難曲としても知られるこの曲は本来6人の奏者のための作品で木・金属・皮といったあらゆる素材を使った打楽器群が一斉に響くシンフォニーのような作品。加藤さんはこれを一人で多重録音した音源も残しているが、今回はライヴならではの18人という大編成。そのダイナミックな音の洪水に身体ごと持っていかれるような感覚だった。

icon-youtube-play 「18人のプレイアデス」

若手奏者18人が大変な実力の持ち主であることは疑いがなく、複雑なリズムを一斉に刻むのに乱れることも、さりとて勢いを止めることもなかったのは、相当の練習を重ねて呼吸を合わせてきたのだろうと推察する。それでも1人1人の音の個性が意外なほどに分かるのが面白かった。それはホールの音響がこれだけの大音量も充分受け止められる器であることの証でもあるだろう。

今年はクセナキス没後20年。突如襲った新型コロナのパンデミックに、5年間をかけて準備してきたこのプロジェクトは延期を余儀なくされ、海外の奏者達は日本への来日が叶わず、全て日本人奏者がこの日のステージを務めた。しかし彼らの真摯なパフォーマンスはクセナキスの音楽を通じて、梅雨空のように重苦しかった私の心を清々しいまでに揺さぶった。

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