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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

浜辺のアインシュタイン

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

この秋は注目コンサートが目白押しである。海外オーケストラの来日ラッシュもさることながら、長年温めていた企画もついに実現、といった感じでコンサート行脚に大忙しの私である。

中でも最も注目を集めていたのがミニマルミュージックの巨匠、フィリップ・グラスと鬼才演出家ロバート・ウィルソンによるオペラ「浜辺のアインシュタイン」である。特に予備知識がない人でも既にこのタイトルだけでイメージをそそられるのではないか。しかしこれはオペラと言いながら、アリアやドラマティックなストーリーが展開する通常のオペラとは一線を画す。今回は日本語上演による新制作ということで、ダンス、演劇、美術など様々な才能を結集して制作されていることでも話題。演出と振り付けは東京オリンピック2020開閉会式振付ディレクターを務めた平原慎太郎、ポスターのデザインを、あの漫画家で映画監督の大友克洋が担当。クラシック畑だけではない、多くの人々が期待を持って神奈川県民ホールへと向かったことだろう。

icon-youtube-play 「浜辺のアインシュタイン」@神奈川県民ホール予告編

この神奈川県民ホールをはじめ、神奈川県立音楽堂、神奈川芸術劇場(KAAT)の運営を担うのが神奈川芸術文化財団。奇しくもその芸術総監督であった作曲家の一柳慧が先日亡くなったが、彼は1976年のフランス、アヴィニヨンでの初演から間もないパリ公演を現地で体験し、その革新的な内容に度肝を抜かれたという。1992年には東京でも上演され、この時も世間の話題をさらっていたが、実に30年振りの上演はどんなものなのだろうか?

まずここでミニマルミュージックについておさらいしておこう。これは現代音楽における一つのジャンルである。短いパターン化された音型を繰り返す音楽で、1960〜70年にアメリカで生まれ、テリー・ライリーやスティーブ・ライヒなどがムーブメントを起こした。フィリップ・グラスも同様にカテゴライズされることが多いが、彼自身はミニマルミュージックと呼ばれることをあまり歓迎していなかったという。

icon-youtube-play スティーブ・ライヒ「Electric Counterpoint」

更に「浜辺のアインシュタイン」が作られたのはアメリカのポップカルチャーの時代でもあった。ヒッピーやサイケデリック文化などの台頭と重なり、あらゆる芸術がそうであるように、その時代の空気を反映している。

このオペラにはストーリーは存在しない。台詞とその文脈も一聴すると意味はないが、そのテキストには演出の肝ともなるキーワードが無数に含まれている。日本語上演ということで通常の公演のように字幕もなかったが、私は1階席の前方だったので、音楽も台詞もかなりクリアに聴こえる位置にいたことは幸いした。

音楽は電子オルガンと合唱で始まる。その歌詞は「ワン、ツー、スリー」または「ド、レ、ミ」といったそれ自体に意味を持たせないもの。これが人間の感情を排し、無機質で機械的な要素を一層強調する。舞台上の人物も人形のような動きを繰り返す。しかしその音楽はいわゆるノイズ系ではなく、短いながらもメロディーのセンテンスがあり、それを執拗に繰り返していく。「どうかな、ヨットに風あつめるかな」の印象的な台詞の韻を踏むそのリフレインとともに、音型のグルーヴ感は打ち寄せる波のようでもあり、まさに「浜辺のアインシュタイン」のイメージ像が脳内に膨らんでゆく。

しかし安心して聴き入っていると、リズムやフレーズが唐突に、或いは微妙に変化し、それが捻れて気持ちをざわつかせる。そんな空間がトータル4時間近く続く。途中休憩を挟むとはいえ、精神的にトランス状態になるのは一般的なクラシック音楽のコンサートなどでは体験できない感覚だ。これをリードしていく指揮のキハラ良尚の恐るべき集中力。ソロのヴァイオリンがその無機質な波の上で燦然と響いていたのは特筆すべきで、それが今をときめくヴァイオリニスト、辻彩奈だったこともあるだろう。

後半は音楽のクライマックスとともに舞台上もダンスシーンが中心となる。見事に鍛えられた肉体のフォーメーションとグラスの音楽が絡み合い、コンテンポラリーダンスの様相を呈す。もともとミニマルミュージックはダンスや劇伴音楽としての相性が素晴らしく良いのは、音楽自体の膨らみが非常にフラットでいかようにも解釈できる点にある。とは言え、グラスの音楽は時にエモーショナルな部分も含み、舞台上に大量のビニールが出てきた場面ではそのテクスチャーが波のようにも(実際ビニールを引き摺る音が波の音のようにも聞こえた)、映画「エイリアン」に出てくるグロテスクな羊膜のようにも感じられた。

ラストの場面では突然愛を語らう恋人たちの台詞となり、そこにある種のメタファーを見出す余地はあるのだが、これだけ想像力を自在に駆使できる作品もない。何某かの得体の知れないエネルギーが人間に呼び起こす衝撃や感動こそが音楽や芸術の素晴らしさである、とするならばこれはまさしくある時代のアメリカに於ける記念碑的作品として存在する。しかもそれを内包しつつ、時代を超えた普遍的な意味を提示しうる「芸術の器」と言えるのではないだろうか。

icon-youtube-play 「浜辺のアインシュタイン」Knee Play5

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