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映画『どうすればよかったか?』と精神を患った芸術家たち

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。

2月の最終日に気になる映画を観に行った。

「どうすればよかったか?」は監督の藤野知明氏が統合失調症を発症した姉と彼女を取り巻く家族を20年に渡って記録したドキュメンタリーだ。2024年に公開され、評判を呼んだことで今年の1月に書籍化が決定。藤野監督自身がその中で書いているが、文章を書くのは苦手だそうで、確かにたどたどしく、お世辞にも流麗な文章とは言い難い。だがある種の拙さが現実の重さとしてストレートに伝わってくる。

「どうすればよかったか?」藤野知明著
「どうすればよかったか?」藤野知明著

映画も同様で音楽はいっさいなく、最小限のテロップと監督のモノローグで映像を繋いでいく。そしてモザイクもなしに家族の姿をありのまま映し出しているのが凄い。家族だからこそできたことだろうが、映画後半では棺桶に横たわる姉の顔さえ映像に捉えていて、全てが圧倒的なリアリティで迫ってくる。特に統合失調症が悪化していく姿は衝撃的である。突然叫び声をあげたり、ものすごい早口で意味不明な言葉を発し続けたかと思うと、カメラの問いかけに黙りこんでいる時もある。その目は何かに怯えているような、はたまた憑依されているような、強烈な印象を与える。

監督の藤野知明は1966年札幌市に生まれた。両親とも医学の研究者であり、8歳上の姉も非常に優秀で、彼女は両親の影響で医師を目指していたが、24歳の時に統合失調症の症状が現れる。しかし父は「問題ない」とし、精神の治療から姉を遠ざけた。

優秀な家庭の中で一番下の存在だったという知明は、両親の態度に疑問と不安を感じながらも、自らの精神と人生を守るために実家を離れ、その後映像制作を学ぶ。そして断片的に姉と家族の様子を記録し始める。姉は両親と暮らしていたが、新興宗教に献金したり、突然単身でアメリカに渡って保護されたり、自宅に警察を呼んで騒ぎになったりとトラブルが絶えなかった。それでも両親は姉を病院に連れていくことはなく、ある日、知明が帰省した時には自宅の玄関に南京錠がかけられていた。やがて母に認知症の症状が現れ、父も年老いて一人では二人の面倒を見られなくなり、知明の進言でようやく姉は精神科の病院に入院することになる。最初に発症した時から既に25年が経過していた。家族という形の在り方は時に残酷だ。姉を思う気持ち、娘を思う気持ちは確かにあったはずなのに、何故こんなに時間がかかってしまったのだろう。

退院した姉はこわばった表情も和らぎ、入院前と全く違うのに驚かされる。しかしその数年後に肺がんを発病。結局母の次に彼女は亡くなってしまう。父はその葬儀でも娘の統合失調症については何も語ることはなく、最後にこれを映像化するにあたって監督である息子が父に許可を取る場面でも、悔いる言葉はなかった。それは研究者としてのプライドや世間体といった鎧がそうさせていたのかもしれない。エンドロールの後のカメラに手を振る姉の映像に心が痛む。「どうすればよかったのか?」という問いはどこまでも観る者の心に突き刺さってくる。3月上旬現在ポレポレ東中野他全国にて上映中。

icon-youtube-play 映画「どうすればよかったか?」予告編

冒頭「この映画は統合失調症がどんな病気なのか説明することが目的ではない」と断りが入るが、観る人のほとんどは統合失調症についてよく知らないと思う。ウィキペディアによれば「思考・感情・知覚・行動・自己認識の統合的機能が持続的に失調することにより、現実認識の歪みや社会的・職業的機能の障害が生じる慢性の精神疾患。幻覚や妄想、会話や行動における統合喪失、突然興奮や大声などの陽性症状、周囲への無関心や意欲や集中力の低下といった陰性症状がある」とある。

現代では薬や早期の治療で完治することも多いが、罹患率は1%と比較的高め。原因ははっきりしないものの芸術家の中に実は統合失調症を患った例も多い。

ノルウェーの画家、エドゥアルト・ムンクの代表作「叫び」は幻聴を描いているとされる。また、「ひまわり」で有名なオランダの画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが起こした「耳切り事件」は自画像にも描かれていて、衝動的な自傷行為は病気が原因だったといわれている。

「ジャズの父」とも呼ばれるコルネット奏者のバディ・ボールデンも統合失調症を患っていた。レコード以前に活躍していたため演奏は残っていないが、晩年はアルコール中毒から精神病院に入院、共同墓地に埋葬されたという。
1945年生まれのアメリカのゴスペルシンガー、ダニー・ハサウェイは幼少期から音楽教育を受け、クラシックやジャズにも精通した。「ニュー・ソウル」と呼ばれ、新世代の黒人アーティストとして脚光を浴びたが、やはり統合失調症を患い、わずか33歳でニューヨークのホテルから転落死。自殺とみられている。

icon-youtube-play ダニー・ハサウェイ

クラシック音楽家ではロベルト・シューマン。ライン川に身を投げて自殺未遂をはかり、精神病院で亡くなった。梅毒説もあるが、若い頃から統合失調症の疑いがあったといわれている。亡くなる直前の「主題と変奏」は本人曰く天使から与えられたという主題をもとに書かれた痛ましくも美しいピアノ曲で「幽霊変奏曲」とも呼ばれる。

icon-youtube-play シューマン:主題と変奏

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