

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
年末のコンサート、もう一つは友人のピアニスト、島田彩乃さんからの強力なお勧めで聴いた「クァルテット浬」のコンサートである。平均年齢30歳前後。この若いクァルテットはプロフィールによると、ヴィオラのジリャン・シーだけはザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学卒業ということだが、それ以外の第1ヴァイオリンの佐々木大芽、第2ヴァイオリンの三田悠、そしてチェロの坂井武尊というメンバーが東京音楽大学在学中に結成され、東彩子のもとで室内楽を学んだ。

秀逸なデザインのコンサートのチラシ
先頃、カナダのバンフで行われた第15回バンフ国際弦楽四重奏コンクールで日本の団体としては初の第3位入賞。並びにハイドン賞も受賞し、国際的に注目を集めた実力派だが、弦楽四重奏団が国際コンクールで入賞しても日本のメディアではほとんど取り上げられることはない。この国の文化や芸術に対する意識の低さにやや落胆してしまうが、現実はそんなものである。彼らは自らその活動を発信することを決意、緊急来日した。今回の日本でのコンサートは実に6年ぶりだそうである。
会場は築地にある浜離宮朝日ホール。年末らしい北風の強い寒い夜だった。島田さん経由で友人2人もチケットを買っていたものの、私とNさんは全席自由席であることをうっかり忘れていた。先に到着していた友人U君に席を取っておいてもらう。既に会場前に長蛇の列ができていたということで、ある程度知り合いも多いのだろうが、人気のほどが窺える。
それにしてもチケットやチラシのデザインが秀逸である。コンクールで入賞したばかりの若い団体だから、まだそんなにスポンサーがいるわけでもないだろうに、ネットワークを駆使して工夫を凝らすとこんなにセンスの良い販促物が作れるのだろうか。それに団体名の「クァルテット浬」というのもなかなか印象深い。「浬(カイリ)」=「海里」という意味だそうで、音楽で海や文化の境界を越えて人々と繋がりたい、という思いが込められているとか。(ちょっと漢字だと「狸(たぬき)」に字が似ているのがご愛嬌ではある)

バンフ国際弦楽四重奏コンクール第3位の実力
さて、肝心の演奏。冒頭はハイドンの弦楽四重奏曲第72番ハ長調Op74-1。ハイドン賞を受賞したくらいだから得意のレパートリーに違いない。しかし、ちょっと緊張もあったのか、ヴァイオリンのピッチが安定せず、全体的に音がはっきりしない印象になってしまったのが残念。でも歌い口は非常に滑らか。確かにハイドンの古典的な明朗さにはよく似合う個性を持っているようだ。
続いては難曲で知られるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番ハ短調Op110。「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」と明記されているように、ショスタコーヴィチ特有の様々なモティーフや引用が隠れており、複雑な様相を呈している。すなわちハイドンとは打って変わって抉るようにシャープなアンサンブルが要求される。革命と戦争の暗い影、抑圧によって精神を蝕まれ、死をも覚悟したショスタコーヴィチ自身の苦悩に塗れたこの楽曲の演奏にしては緊迫感が足りなかった。もっと切先の鋭い音で血を噴き出すのを見るような切れ味が欲しかったというのが正直なところ。
シューボックス型のこのホールの音響特性も影響してしまったかもしれない。我々は中央よりやや前方のかなり右寄りの席だったためか、低音があまり響いて聴こえてこなかった。実は私は坂井武尊のチェロにあちこちの公演で接しているのだが、弦楽四重奏のようにはっきりとその実力が窺えるような機会はこれまでなかった。後で聞いたところによれば、彼はこの日体調を少し崩していたようなので、それも影響があったと思われる。トッパンホールのような、もう少し小さめの、どの角度からも等しく音響が保たれているような会場で聴いたら、彼の真の実力を知ることができたかもしれない。これは彼と共演も多い島田彩乃さんのお墨付きである。
休憩後のメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第2番イ短調Op13は素晴らしかった。不安定だったピッチも後半以降安定感を増し、次第にアンサンブルが自然な膨らみを持ち始めた。その豊かなフレージングはメンデルスゾーンのロマンティックな音楽の中で自在に呼吸し、イ短調の持つメランコリックな感情を艶やかに歌い上げた。彼らにとって古典からロマン派の作品は安心感を持って聴けるレパートリーのようだ。
クァルテット浬
ただ、まだまだショスタコーヴィチのような強烈な個性を持つ楽曲に太刀打ちできるだけの胆力が足りない。曲の本質に喰らいつく野生味と集中力が欲しいところだろうか。
現在もザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学でハーゲン・クァルテットのライナー・シュミットなどに学んでいるというクァルテット浬。常設の弦楽四重奏団として活動していきたい、との決意も語っていたその志と大いなる可能性に心からエールを送りたい。
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