

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
年末のコンサートといえば、ほぼ第九のオンパレードだが、私はこの年末の第九という日本の風習があまり好きではないので、それ以外のごく限られたコンサートだけに行くことにしている。この時期は番組の納品が早まる、いわゆる「年末進行」に突入することもあり、何かと気忙しいので、実際コンサートに出かける機会は減ってしまうのだが、その中でも新旧アーティストのコンサートに行く機会があった。どちらも印象深かったので、2つのコンサートについて紹介したい。
まずは、私がエフエム世田谷で担当している番組でも度々出演していただいている、世田谷区在住のヴァイオリニスト、和波孝禧さんの毎年恒例のクリスマス・コンサート。生まれながら視力に障害を持つ和波さんだが、それをものともせず、若くから才能を発揮し、世界的な演奏家の登竜門であるロン・ティボー国際コンクールやカール・フレッシュ国際ヴァイオリンコンクールなどに上位入賞している。サントリー音楽賞など国内の主要な音楽賞も多数受賞、更に点字楽譜の普及にも尽力、団体の代表も務めている。芸術と福祉両面での活躍には国家も注目し、紫綬褒章、旭日小受綬章も受賞している。東京芸大や母校の桐朋学園でも後進の指導にあたっていたが、現在は少しお年を召されてご自宅で少人数のレッスン生を見ているようだが、それ以外に毎年八ヶ岳のサマースクールでは室内楽のレッスンも定期的に行なっている。
八ヶ岳サマースクール
和波さんはとても朗らかで気さくな人柄である。SNSなどでご自身の日常生活をお喋りとともに発信するなど、パソコンやスマホも見事に使いこなす。一見意外な気もするが、障害を持つ方にとって、こうしたデジタルデバイスは必要不可欠だ。アプリを駆使することで様々な情報を自ら取得することができるので、むしろ健常者よりもこれらの機器の扱いに慣れている。和波さんは今年80歳を迎えたとのことだが、同世代でこれだけスマホやパソコンを使いこなしている方は少ないのではないだろうか?
そんな和波さんの「クリスマス・バッハシリーズ」のコンサートは毎年クリスマスの時期に上野の東京文化会館小ホールで行われる。タイトルの通り、プログラムはバッハが中心だが、今年は第32回を迎え、バッハと無伴奏作品の双璧をなす、ウジェーヌ・イザイの作品も取り上げる。和波さんといえばやはりバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータの全曲録音が印象深いが、私はイザイの録音も同じくらい推したい。ロマン派を代表するヴァイオリニストであるイザイは「フランコ・ベルギー楽派」と呼ばれるヴァイオリン奏法の中心的人物。そして代表作の無伴奏ヴァイオリンソナタOp27には第1〜6番まで、それぞれ献呈されたヴァイオリニストの名が付いているのが興味深い。

第32回和波たかよしクリスマス・バッハシリーズ
作品は技巧的にも大変難しく、無伴奏という形式もあって若手ヴァイオリニストが競ってその技巧をこれ見よがしに弾く、ということが多いのだが、和波さんは実に自然に呼吸する中で演奏されるので、ともすれば息が詰まるようなこの曲の印象を覆す。余計な雑念を持たず、純粋に音楽だけに向き合うことのできる和波さんだからこそ、なしえるイザイの世界である。
当日のクリスマス・コンサートは全体のプログラムがちょっと短かったので、和波さんお得意の「お話」のコーナーが設けられていた。なんと若い頃、このイザイの無伴奏ソナタ第1番を贈られている巨匠ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シゲティに直にレッスンを受けたことがあったそうで、貴重なエピソードも語られた。日々の厳しいレッスンに涙を流したこと、その厳しさの裏側に期待と愛情が秘められていたこと、実力が認められて本国の「イザイ協会」からイザイメダルが贈られたこと、数々の驚きのエピソードが穏やかな口調で、時々にユーモアを交えて語られた。
ヨーゼフ・シゲティ
そのお話ぶりがとても魅力的で、ラジオでお話いただくのもいつも楽しみにしている私なのだが、それは会場に聴きに来ていた多くのお客さんも同様だったようだ。客席のあちこちでお話の合間にクスリと笑ったり、感嘆の声を上げたり、度々に拍手が起こったりする。コンサート終了後に楽屋にご挨拶に行くと、笑顔で迎えて下さった。折に触れてトークでも健康で演奏できることの幸せを語っていらしたが、こんなみずみずしい音を奏でられる和波さんの感性はいささかの老いも感じさせない。
ところで東京文化会館は来年から長い改修工事に入る。和波さんのクリスマスコンサートも来年は銀座の王子ホールで行われることが既に決定している。文化会館に対しても昔と今で音色の違いをはっきりと記憶しているという和波さんの聴覚はやはり驚くほど研ぎ澄まされている。王子ホールではどのような響きの中で私たちにその演奏を聴かせてくれるのだろうか。
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