ロシアダンスミュージック特集
ロシア音楽といえば、クラシックの大御所の作曲家がずらりといます。
くるみ割り人形のチャイコフスキー、火の鳥のストラヴィンスキー、革命のショスタコーヴィチ等がイメージされる通り、
大本命の音楽先進国です。
クラブサウンドに目を向けると、
ダークサイケ発祥の地でもあり、トランス系の音楽がが発達している地域です。
英語圏でのマーケティングの関係で、英語タイトル、英語の歌詞のものが多く見受けられますが、
ロシア語バージョンも存在します。
この辺の事情はスペイン語圏と共通するものがありますね。
国土の関係上、都市中心主義の文化ですので、地域ごとにクラブミュージックに対するシーン、
および市場の理解は異なり、格差が発生しているそうです。
またスウェーデンハウスマフィア系のDJによるサポートが多く見受けられます。
曲名もHi Scandinavia!など、ある意味狙っているのかもしれません。
Arty feat. Chris James Together We Are
アーティー
2013年
Arty(アーティー)ことアルチョーム・ストリャロフは1989年9月28日生まれの27歳
ロシア、サラトフ州エンゲリス出身のDj、プロデューサーです。
2008年から活動を開始し、イギリスのレーベルAnjunabeatsと契約、
その後、シングル”Rush”と”The Wonder”が世界中のクラブやラジオでオンエアされ、
一躍有名になりました。
ボーカルのクリス・ジェームズはDJデッドマウスの楽曲The Veldtに、
勝手にボーカルをレコーディングしてきて、それをデッドマウスに送り、
ボーカリストとして採用された経緯をもった歌手です。
ハードロック・ソファ
Hard Rock Sofa(ハードロック・ソファ)は
2005年にアレクサンドル・シャポヴァロフとデニス・チェピコフの二人で結成されたトランス、EDMデュオです。
レーベルAxtone Recordsにて、シングル”Blow Up”でSt. Brothersとコラボレーションしたさいに、
その楽曲が、Axwell、Thomas Gold、Hook N Sling、Goodwillらにリミックスされ、
BeatportTOP100にチャートで、2位になりました。
ハードロック・ソファはよくSwanky Tunesとコラボレーションしています。
Hard Rock Sofa & DJ Squire ft. Max’C Just Can’t Stay Away
Swanky Tunes & Playmore I Need U
スワンキー・チューンズ
Swanky Tunes(スワンキー・チューンズ)は1998年に結成された、
ヴァディム・シパーク、ドミトリー・ブルィキン、スタニスラフ・ザイツェフの3人組でして、
プログレッシブ・ハウスやエレクトロ・ハウス、EDMの楽曲を作成しています。
ビックビート系の音楽から影響を受けたとされ、
影響の受けたアーティストとして、ダフト・パンク、ケミカル・ブラザーズ、ザ・プロディジーを上げています。
1999年にはグループ名を英語名にかえ、
彼らのデビューアルバム、 Streamline はロシアの音楽レーベル、Uplifto Recordsから2006年にリリースされ、
2006年と2007年にはロシアのダンス・ミュージック・アワードで「ベスト・ミュージカルグループ」を受賞しました。
マティス・アンド・サドコ
2015年
Matisse & Sadko(マティス・アンド・サドコ)は2010年に結成された、
アレクサンドル・パルホメンコとユーリィ・パルホメンコによる兄弟での
プログレッシブハウス、EDMユニットです。
2011年にリリースした、Hi Scandinavia!がスウェディッシュ・ハウス・マフィアのメンバー
スティーブ・アンジェロ、セバスチャン・イングロッソらがライブやラジオでフューチャし、ヒットを迎え、一躍有名になりました。
この曲、 Memoriesは幼少期にDJになる夢を抱いていた感情をテーマにしているそうです。
PPK Resurrection
今回の特集では、東ヨーロッパの歌手を取り上げていますが、
ロシアでお勧めのダンスミュージックといえばこちらをご紹介します
Timati feat. Snoop Dogg Groove on
PPK
PPKは1998年にロシアのロストフ・ナ・ドヌにて、
セルゲイ・ピメノフとアレクサンドル・ポリャコフの二名で結成された、トランスの音楽グループです。
ソビエト連邦崩壊後に最初に国際的なヒット曲を出したグループであり、t.A.T.u.にも協力しています。
‘ResuRection’は2001年にリリースされたシングルで、全英シングルチャートで初週第3位になり、
ロシア人によって作曲されたトランスはロシアントランスとして注目を浴びることになりました。