
RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
正直サキソフォンという楽器は昔から私にとってあまり馴染みがなかった。楽器としての歴史は1840年代にベルギーの管楽器製作者アドルフ・サックスが考案し、サキソフォンという名前も彼に由来する。構造上は木管楽器に分類されるが、金属で作られていて、木管と金管の双方の演奏上の利点を備えた楽器であらゆるジャンルの音楽で使用される。特に吹奏楽では欠かせない存在でもあるが、ブラスバンドにも私は縁がなかった。それでもラヴェルの「ボレロ」とか、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」とかサキソフォンが登場するクラシック音楽の作品は好きだったりする。クラシック以外にもスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」は大好きだし、ジャズにはあまり詳しくないけれどジョン・コルトレーンとか、ソニー・ロリンズといったサックス・プレイヤーは比較的好んで聴く。意識はしていないが、そのちょっとひねくれたような音色にどこか惹かれていたのかもしれない。それに気付いたのはわりと最近のことだ。
ラヴェル:ボレロ
スティング:イングリッシュマン・イン・ニューヨーク
マイ・フェイヴァリット・シングス:ジョン・コルトレーン
それはバッハとサキソフォンという組み合わせの音楽に遭遇したから。清水靖晃&サキソフォネッツのバッハ「ゴルトベルク変奏曲」は私にとってとても印象的な音楽だった。バッハの「ゴルトベルク」は近頃様々な楽器での編曲版が登場しているが、面白いものもあれば、ちょっとこれは、と思ってしまうものもある。何しろ編曲が肝なのは言うまでもない。サックスという誕生してから200年ほどの新しい楽器と300年前のバッハの音楽。これをうまく結び付けるのは当然編曲のセンスといっても過言ではないだろう。清水靖晃のフィールドは映画やドラマ、CMの作曲、プロデュースなど多岐に渡るがクラシック専門の演奏家ではない。逆に言えばそんな彼だからこそ、バッハの世界観を大切に踏襲しながらも、そこに新しい感覚を吹き込むことができるのだろう。実際に彼は、この「ゴルトベルク」の録音にかなりの時間を要している。
バッハ:ゴルトベルク変奏曲よりアリア
清水靖晃はそれよりも前にバッハの無伴奏チェロ組曲をサキソフォンのソロで演奏したアルバムも発表している。これは第1番のプレリュードがCMでも流れていたので、覚えている人も多いだろう。録音もかなり凝っていて残響の非常に多い、意表をつく場所で行なっている。採石場や鉱山の地下空間とか倉庫を改造したスタジオとかいった具合である。その豊かな響きの中ではバッハの音楽がなんと大きくゆったりと新鮮さを持って響くことか。バッハの包容力はどんな演奏法も受け容れてくれるが、それを最大限に生かしたものだと思う。
バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュード
先日その清水靖晃&サキソフォネッツのライブ・コンサートを聴いた。バッハとのコラボレーションから入った私が彼らのライブを聴くのはこれが初めてだったが、あらゆるジャンルの音楽的要素を清水靖晃流にブレンドしている、という印象を持った。サックス以外にも様々な楽器が登場するのには驚いた。彼自身がパーカッション、キーボード、ボーカルまでこなす。一番印象に残ったのは少し大型のラジオを持って、チューニングをしながら音楽に合わせる、という技。即興的なスリリングさの要素もあり、チューニング時のノイズも見事に音楽の一部になっていたのは面白かった。
民謡のような、歌謡曲のような音楽も多数あり、これはアルバム「Pentatonica」からの楽曲。このアルバムは5音音階=Penta Tonic Scaleをモチーフにした音楽が収められている。コンサートでも演奏されたエチオピアの民謡などもあって面白そうだ。改めてじっくりと聴いてみたい。そういう時のサックスの響きはどこか野暮ったさ、素朴さが強調されて聴こえる。こういう音色もなかなか味わい深い。また彼のちょっとシャイなボーカルも何曲かで披露されたが、可愛らしかったと付け加えておこう。
エチオピア民謡:エンデンネ・ベルレンニュ
ポスト・クラシカル、ポスト・ジャズなど、様々な呼ばれ方をされている清水靖晃だが、今回のライブを聴いてそんなカテゴライズは全く関係ない存在なのだ、と思った。とかくクラシック音楽畑から見ると、そんなジャンル分けをついしてみたくなるものだが、それをはるかに超越したアーティストはいるものだ。彼自身の言葉で言えば「自分の意識の中ではロックも演歌も歌謡曲もバッハもみんな『世界音楽』として同時に存在している」という。『世界音楽』とはなんと素敵な言葉だろう。音楽の本質を捉えて、その中にある文化を探ろうとする意識、それは音楽の語法に囚われていては培われないものなのかもしれない。
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