RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
かつて某公共放送の関連会社でアルバイトをしていたことがある。仕事内容はわりと事務的な作業で特に社外の人間に会うこともなかったのだが、服装についてあれこれうるさく言われるのに閉口して辞めてしまった。音楽が好きで今の仕事をしているのは間違いないが、自由な服装が許される、という点も私にとってかなり大きなファクターである。ファッションはその人の感性や個性であり、それをどうこう言われることは、あえて言えばクリエイティブな仕事をする場合には適さないし、自分自身を否定されることにも等しいと思っている。個人的には多くの日本女性が着るような万人受けする可愛らしいファッションより、モードと呼ばれるデザイナーの個性が主張するファッションが好みだ。
先日試写会で観た映画はそんなモードの世界で孤高の存在として活躍してきたドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリー。私はベルギーのデザイナーが好きで、ドリス以外にもヴェロニク・ブランキーノとかアン・ドゥムルメステールといったアントワープ王立芸術学院出身の若手に昔から興味を持っていたので、この映画の試写を楽しみにしていた。
映画「ドリス・ヴァン・ノッテン」予告編
ベルギーと聞いて思い浮かぶのはチョコレート、ワッフル、ビール、古城、そして音楽でいえば作曲家のフランク。その他ヴュータンやイザイといったフランコベルギー楽派と呼ばれる演奏法のヴァイオリンの流派も有名だ。そして私がもう一つ強いイメージを持っていたのはこの「アントワープの6人」とも呼ばれるドリス・ヴァン・ノッテンを含むデザイナーたちの存在だ。
フランク:前奏曲、フーガと変奏曲
ヴュータン:無伴奏ヴィオラのための奇想曲
イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番「バラード」
ドリス本人は「ファッション」という言葉はファストファッションに代表されるように、大量に生産し消費される、短命でその場限りの服作りと捉えている。生地や素材の選定に可能な限りの時間をかけ、刺繍など職人の丁寧な手仕事を独創的なアイディアで昇華させる彼の服作りはそれこそ「モード」であり、もはや芸術の領域だ。しかし巨大な企業買収によるブランドの衰退、ファストファッション台頭という波の中で、ビジネスとして「モード」を確立し成功させるのは並大抵のことではない。ライセンス契約もせず、独立系ファッションデザイナーとして会社を維持し、なおかつ独自の世界観を構築する彼のやり方は現代では異質といえよう。94歳にしてスタイル・アイコンとして数多くのデザイナーたちに影響を与えているアイリス・アプフェル曰く、「絶滅危惧種」だそうだ。
そんなドリスの究極の美を創り出すインスピレーションの源となっているのが、自宅の庭でパートナーのパトリックと過ごす時間だ。色とりどりの花、季節ごとに移り変わる草木の表情など、ドリスのコレクションで度々見られる美しい色彩や花々のモチーフはここでの豊かな自然がそのまま映し出されている。
さてここまで、一気にファッションの話を書いてしまったが、音楽の世界にも通じるところがあるように思った。今や大手のレコード会社からクラシック音楽のディスクがリリースされることは昔に比べると格段に少なくなっている。音源配信という、より手軽でスピーディーな方法で音楽を聴くことも多くなってきている。この流れは映画や書籍などにも同様のことが言えるだろう。しかしより手軽にスピーディーに、というキーワードに乗って忘れ去られている大切なものがあるのではないだろうか?例えばクラシック音楽はそれを生み出す作曲家の創造性は言わずもがな、長い年月の中で人々に聴き継がれてきたもの。またその演奏家となるには幼い頃から抜きん出た才能に加え、その技術と感性を磨くために気の遠くなるような練習や努力が必要だ。そうした努力の賜物であるクラシック音楽を聴く、ということの贅沢さ。現代では様々なジャンルの音楽が存在するが、心の底からの感動を呼び起こすということにおいてはクラシック音楽にかなうものはないように思う。その感動を味わう機会が少なくなっているというのは、何とも残念なことだ。しかしそれこそドリスのような「独立系」=マイナーレーベルが若手の優秀な音楽家の旬な演奏を録音するなど、本当に良質なものを提供するという動きもある。良いものを作るには時間が必要だし、受け取る側にもそれを享受するための器作りが必要だ。本物を見極める能力と感性を磨く。それは世界をより豊かにするもの=文化や知識を身に付けるための基本的な道筋だと思う。
ドリス自身も幼い頃からクラシック音楽を聴いていたという。へえ、と思ったその直後、コレクションの映像の中でラヴェルの「ボレロ」が流れた。民俗的な主題やリズムを洗練された響きとオーケストレーションで聴かせるラヴェルの色彩的な音楽は確かにどこかドリスの服を思わせる。それはとても「モード」な音楽といってもいいのかもしれない。「時代を超えたタイムレスな服を作りたい」というドリスの世界観はクラシック音楽に限りなく近いような気がしたのである。
ラヴェル:ボレロ
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