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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

我が偏愛のタルコフスキー

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

レディースデーというものをもっと有効に活用しようと思い立って、近頃毎週水曜日は映画鑑賞をしている。そうすると自然に上映プログラムを頻繁にチェックするようになり、何年かに一度訪れる「特集上映を制覇する」という個人的なマイブームが到来。今回はアップリンク渋谷の「ソビエト時代のタルコフスキー」である。

icon-youtube-play ソビエト時代のタルコフスキー

実を言うと私は20代の頃、映画の配給会社でアルバイトしていたことがある。と言ってものんびりした会社だったので、近くのホテルやレストランでランチやディナーを楽しんだり、今思えば優雅な毎日だったのだが、その職場にキネマ旬報がバックナンバーも含めてどっさりあって、休憩時にそれをくまなく読んだりしていた。少しマニアックな映画を観るようになったのはその頃からかもしれない。今でも友情関係が続く人がいるその職場では趣味人が多く、当然映画好きが多かったので大いに刺激を受けたのであった。

同じ頃、深夜に「ミッドナイトシアター」という映画を放映するTV番組枠があって、それをせっせと録画して観ていた。オンデマンドなんてものは当時なかったし、音楽番組も含めて今よりもTVから得るカルチャーというものがたくさんあった時代だった。今では少しエンタメ色の強い作品もラインナップしつつ番組は続いているようだが、そこでも確か特集をやっていて、以来タルコフスキーは私の大好きな映画監督の一人である。

アンドレイ・タルコフスキーは1932年ロシア生まれ。父親は著名なウクライナの詩人であり、彼が幼い頃、妻と子供を捨てて出て行ってしまったため、このことが少年タルコフスキーにとって深いトラウマとなっていることは「鏡」など自伝的な作品でも明らかである。と同時に水や海、夢などをモチーフにした多くの作品の中には母親との生活が長かった彼の母性に対する憧憬も垣間見ることができる。スターリン政権が終焉を迎え、西側の文化が流れ込んできた時代に青年期を過ごした彼にとって、そのカルチャーショックはその後の映画作りに色濃く影響している。モノクロームとカラーの映像を混在させる手法も多い。これが過去と現在、夢と現実の浮遊性を提示する。台詞は最小限であり、必然的にその美しい映像に目を釘付けにされる。「惑星ソラリス」でのブルー、「ストーカー」でのセピア、「鏡」での森の緑や、「ノスタルジア」や「サクリファイス」の燃えさかる炎。一見冗長なその作品はロシアの自然や宗教観からくる深い精神性と独特の映像美から「映像の詩人」とも呼ばれている。

今回の特集上映で15世紀ロシアのイコン画家の生涯を描いた歴史的大作「アンドレイ・ルブリョフ」をじっくりと鑑賞して気が付いたのは、最近公開された映画「異端の鳥」との酷似性である。ポーランドの作家イェジ・コシンスキの原作を元にしたこの作品も衝撃的で、一人の少年が地面から首だけを出し、鳥と対峙するポスターを見ると一見アート作品のようだが、少年がありとあらゆる暴力を受け、傷付けられ心を歪めていく過程は観終わった後、足取りが重くなるほど。同じくタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」も彷彿とさせる。モノクローム映像、ロードムービーの構成、残虐な殺戮場面、官能的でありながら純粋な女性像、東欧の美しい風景など全編タルコフスキーへのオマージュと言っても過言ではない。

icon-youtube-play 映画「異端の鳥」

ただしこの作品はちょっと描き方がえぐい。ちなみに「アンドレイ・ルブリョフ」は当時のソ連当局から「反愛国的」とみなされ、上映規制がかかった作品でもある。しかし海外では評価が高く、カンヌ映画祭を始め多くの映画賞を受賞し、名実ともに名監督となったタルコフスキーは1984年についに亡命を宣言。しかしそのわずか2年後にパリで死去する。

タルコフスキーは日本との縁も深い。黒澤明などの映画にも関心を寄せ、「惑星ソラリス」の中には日本の高速道路も描写されているし、広島の原爆について言及した台詞もある。またタルコフスキー好きで有名な日本の作曲家、武満徹が彼の死を悼んで作曲した作品があるのはクラシック音楽畑の人にとってはよく知られている。

icon-youtube-play 武満徹:ノスタルジア〜アンドレイ・タルコフスキーの追憶に

またタルコフスキーは若い頃、音楽家志望でもあったという。貧しい幼少期に音楽への道は断念したようだが、しかし映画の中には無闇に音楽を使用せず、ここぞというクライマックスに流れる音楽はクラシックが多い。「鏡」の中でのヨハネ受難曲の冒頭、「サクリファイス」でのマタイ受難曲のアリア「神よ、憐みたまえ」のバッハ。そして「ノスタルジア」でのベートーヴェンの第9などが印象的だ。

icon-youtube-play 映画「サクリファイス」ラストシーン

彼と同時期にソ連から西側へ亡命したチェロの巨匠、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチとは友人関係であり、彼もまたタルコフスキーの死に際してバッハの無伴奏チェロ組曲を捧げている。

特筆すべきは1983年にムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の演出を手掛けており、指揮は先日のウィーン・フィル来日公演でもタクトを振っていたワレリー・ゲルギエフ、現在のマリインスキー劇場管弦楽団の演奏で映像も残っている。

icon-youtube-play ムソルグスキー:オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」


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