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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

実業と芸術

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

矢澤孝樹さんは私が尊敬する音楽評論家の一人である。こういう書き方をするとご本人は謙遜して嫌がるかもしれない。初めて番組の仕事をご一緒したのはかれこれもう10年以上前の話である。

当時矢澤さんは水戸芸術館の学芸員の仕事をしながら音楽雑誌等で執筆活動をしていた。その守備範囲は広く、なかでもかなり凝った古楽の選曲ができる存在として番組の構成と原稿をお願いした。午前中からの収録に、はるばる水戸から半蔵門のスタジオに駆けつけてくれて、休憩中には楽しそうに鉄道の話をしていたのを思い出す。その後も何度か番組に出演していただいたのだが、実家を継ぐはずだった弟さんの急逝により、故郷の山梨に戻られたという話を聞いた。それ以降はその家業である飴の製造会社、ニューロン製菓株式会社の代表取締役として経営の仕事をされている。

icon-youtube-play 水戸芸術館

icon-youtube-play ルネサンス音楽

しかしその一方で音楽評論の仕事も変わらず続けていて、ご活躍はそれまで以上だし、音楽や芸術への意欲はむしろ一層深く大きくなっていることはFacebookなどの発信を見ても明らかだった。こんなにも軽やかに二足の草鞋を履く矢澤さんに、また機会があったらお仕事をお願いしたいと思っていたのだが、それは意外な形で実現することになった。

私の頭の中には、彼にもし番組出演していただくならクラシック音楽の専門チャンネルの方で、という考えがあったのだが、現在ミュージックバードのクラシックチャンネルではタイムテーブルの大型化により単発でゲストを呼べる番組がなくなってしまった。そんな中、企業や団体のトップにインタビューするもう一つの私の担当番組でたまたまゲストを探していたのを思い出し、経営者としても申し分ない経歴の矢澤さんに白羽の矢を立てたのである。

早速オファーをしたところ、時間さえ合えばとご快諾いただき、そのタイミングを探していたら世の中は新型コロナによる緊急事態宣言。その間に矢澤さんのお父上が逝去され、ますます声を掛けづらい状況になってしまった。しかししばらくすると矢澤さんの方からいつでも大丈夫ですよ、とお忙しい合間を縫ってご連絡をいただき、久しぶりにスタジオで再会したというわけである。

もちろん経営者のインタビュー番組なので、社長としてのお話を伺うのがメインではあったのだが、その中でも自然と音楽や美術、漫画やサブカルチャーの話が飛び出して、私はヘッドフォン越しに話を聴きながら心の中でニヤニヤしてしまった。普段は社長として、そして音楽評論家として、ある種スイッチを切り替えるように二つの仕事をこなしているのかとも思ったが、彼の中では二つが実に自然に結びついているのがなんとも素敵だった。番組は残念ながら既に放送されてしまった後なので、ここで少しその言葉をご紹介したい。

「僕は人間の表現が好きなんです。音楽にしろ、絵画にしろ、漫画にしろ、映画にしろ、表現というものは面白いんですよ。実業と芸術はまるで別物のように捉えられがちですが、どこかで本質的なところでは共通すると思っています。疲れた時に口に含む甘いキャンディーも、人に感動を与える音楽も、どちらも究極的には人を幸せにするものです。お互いを排除するのではなく、自分はその二つの間の架け橋となる存在でいたい」

経営者というととかくその利益を追求するだけの考えや、数字の上での成功だけを声高に語りがちなところがあるが、どちらも人を幸せにするものだ、という言葉をこんなにも真実味を持って語れる人はそうそういない。どんなに上の立場に立っても決して奢らず、きちんとした企業理念を持ちながらまっとうに事業も成功させている矢澤さん。インタビュー番組としても素晴らしい内容を提供してくれた。番組の最後にリクエスト曲をかけるのだが、矢澤さんが選んだのはここではクラシックではなくピーター・ガブリエルの「レッド・レイン」。矢澤さん自身の解説である。

icon-youtube-play ピーター・ガブリエル:レッド・レイン

「赤い雨は人間の不安、恐怖、そうしたものを象徴している。それらを僕に降らせてくれ、洗い流してくれ、という意味の歌詞です。人間が生きていく上では辛いことや面倒くさいことが沢山ある。その一方で強烈な出会いや価値観を覆すような瞬間がある。それらはいつか浄化されていくものなんだ、不安から希望へというメッセージを感じるのです」

漠然と、しかしひたひたと分断に向かいつつある、昨今の世界の空気を憂えずにはいられなかった私も、この言葉を聴いて一筋の光が見えたような気がした。

収録後に矢澤さんはもう一つの経営の柱である「アンデ」のデニッシュパンをお土産に渡してくれた。ふんわりとした食感とほのかに甘いバターの風味。編集の合間にコーヒーとともに美味しくいただいた。

それにしても今回の収録は他の仕事のついでもあってスタジオに寄っていただいたのだが、これだけ多忙な生活のどこで執筆の時間をとっているのかと言えば、夜とか週末の午前中とか限られた時間に集中して書くのだそうだ。休む時間があるのか少し心配しつつも、矢澤ファンとしてはこれからも二足の草鞋を履き続けて欲しいものである。

icon-link ニューロン製菓株式会社(http://www.newlon-seika.co.jp/)
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