RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
クラシック音楽というジャンルは圧倒的にリスナーが少ない。その中でも「現代音楽」を聴く人は更に少なく、絶滅危惧種と言っても過言ではない。そもそも21世紀における「現代音楽」とは何か。Kポップやアニメソングだって現代の音楽という意味では違いないが、ここで言う「現代音楽」とは一聴してどうしても難解だと思われやすい、何世紀と続いてきた西洋音楽の歴史の中で、特に20世紀以降の無調や不協和音といった前衛的な手法を用いた作品を指す。
その中で代表的な存在といえばフランスの作曲家ピエール・ブーレーズの名前が真っ先に挙がるだろう。そのブーレーズが1976年に創設した団体がアンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)。現代音楽の演奏を専門とする彼らはフランス内外の精鋭たちで構成されている。現在の音楽監督は指揮者であると同時に作曲家、教育者としても活動しているドイツ出身のマティアス・ピンチャーが務めている。
アンサンブル・アンテルコンタンポラン
さて、コロナ禍で来日が心配されたこのEICが無事に日本にやってきた。現代音楽の祭典として毎年催されている「サントリーホール・サマーフェスティバル」は今年、このEICが「ザ・プロデューサー・シリーズ」というメインの企画でコンサートを行うことになっていた。新型コロナの感染状況が悪化する中でも、やはりこれは聴き逃すわけにはいかない。私は初日のコンサートを聴きにサントリーホールへ向かった。なにしろ「東洋と西洋のスパーク」というタイトルがついた初日のプログラムがとても魅力的だった。世界的に評価が高い作曲家、細川俊夫の書いた日本初演作品であるオペラ「二人静」と、室内オーケストラ編曲版マーラーの「大地の歌」である。
細川俊夫は能を下敷きにした作品が多い。オペラ「松風」も近年日本初演されて非常に印象的な舞台だったが、今回も能の「二人静」を題材にしている。これはEIC の委嘱作品で平田オリザが新しい物語を台本にし、オペラ化したもの。スウェーデンのソプラノ、シェシュティン・アヴェモと、日本の能声楽家である青木涼子をソリストに据え、まさに東洋と西洋の両極を写し出す。エンパイアラインのドレスを着たプラチナブロンドの巻き毛のアヴェモは可憐な透き通る声で少女を歌い、切り揃えた前髪が涼しげな目元を縁取る青木は和服姿で、謡の唱法を取り入れた独特の声で夫と子を亡くした静御前の慟哭を表す。それは視覚的にも聴覚的にも対比をなしていて面白かった。
細川俊夫:オペラ「二人静」
後半の「大地の歌」も素晴らしかった。とかくオーケストラの音に歌が埋もれがちなこの曲も、小編成のアンサンブルが演奏することで音楽としての全体のバランスが保たれ、ベンヤミン・ブルンスと藤村美穂子という当代最高の歌い手の艶のある声と絶妙な情感のニュアンスをはっきりと聴きとることができた。普段サントリーホールでは2階席を陣取ることが多い私だが、1階席の舞台近くだったことも幸いし、それはとても生々しい「大地の歌」だった。マーラーの音楽が陰影を湛え、中国の漢詩が元のテキストになっている酒を愛でる歌詞は、現在の世の中では皮肉にも思え、得もいわれぬ美しさと同時に一抹の寂しさに切ない気持ちにもなった。
やはり現代音楽を食わず嫌いしてはいけない。もう少し踏み込んだプログラムも聴いてみたくなり、私は月末の繁忙期にも関わらずもう1枚チケットを手に入れてしまった。やはりEICが演奏している以上、ブーレーズを聴かなければ、と思ったからである。
翌々日のサントリーホール。日本初演含めほぼ初めて聴く作品ばかりだったので、勇んだ割に少し怯んでしまったのと、仕事で遅れてしまう可能性を恐れて、前々日より1階後方の席にしてしまったのは少し後悔した。しかし、現代音楽を聴きに行くのに心意気だけは、と多少アヴァンギャルドな白のシャツワンピースと久々の10センチヒールで臨んだ気分は上々だった。
「コンテンポラリー・クラシックス」と題されたプログラムはラッヘンマンの「動き」、ブーレーズの「メモリアル」、アンドレの「裂け目1」、リゲティのピアノ協奏曲、そして自作自演となるピンチャーの「初めに」。
2つの日本初演を含む意欲的な内容、バリバリの現代音楽てんこ盛りである。しかし頭を空っぽにして対峙すると、素直にその面白さに引き込まれる。いつも聴き慣れた楽器の見慣れない奏法や音色に驚きもあり、音の組み合わせによる遠近感にハッとさせられたり、複雑なリズムの応酬に身体を持って行かれたり、普段使わない、ある意味とても原始的な感覚を覚醒させられる。
その中でブーレーズの作品がどこか柔和な美しさを持っていて、陶然としてしまった。現代音楽に限らず、多様に膨大な数の音楽を日々耳にしている現代の私たちにとって、最先端だったブーレーズさえどこか懐かしいものに聴こえる、というのが今回の発見でもあった。それでも流石のEIC。フルートが静寂の水面を渡り歩くような音色にはぞっとするくらいの美しさが潜んでいた。
ブーレーズ:メモリアル
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