RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
クラシック音楽のコンサートといえば都内にいくつか専用のホールがあるが、その日のコンサートはNHK交響楽団の定期公演。会場は池袋の東京芸術劇場だった。
全くの偶然だが私の場合、東京芸術劇場に行く時はいつもトラブルが発生する。直前の用事が延びたり、電車が遅れたり、どうにも予定通りにならないことが多いので、私にとって池袋は鬼門なのである。この日も幸先が悪かった。チケットをスタジオのデスクの引き出しに入れたままだったので、一旦取りに半蔵門に向かい、それから永田町経由で池袋に向かうつもりだったのだが、バタバタしているうちに池袋到着予定が13時53分の電車になってしまった。でも有楽町線から芸術劇場への入口はすぐだし、間に合うだろう、と思っていたら、なんと永田町駅で反対方面の電車に乗っていたことに気付く。どうにも上りの電車に乗ってしまう癖がついているのだ。慌てて降りたのが既に有楽町。そこからまた石神井公園行きの電車に乗り換えたものの、スマホで到着予定を確認すると13時58分。14時の開演に果たして間に合うのか? 始めのプログラムはブラームスのヴァイオリン協奏曲。ブラームスにおいては何の曲であれ第1楽章を聴き逃してしまうのはあり得ない。なんとしても避けたいところである。
池袋に着いてダッシュで地下道を走り抜ける。その日は雨だったのでジーンズにブロークシューズとカジュアルスタイルだったのが幸いした。しかも私は折り畳み傘愛用者なので手間取る会場のロック式の傘立てはスルー。エレベーターは使い慣れないので、いつも通り長いエスカレーターを駆け上り、なんとか滑り込む。舞台は拍手が起こり、ソリストのカヴァコスと指揮者のブロムシュテットが登場したところでまさに間一髪、座席に着いた。
そんな状態で息も整う間もなくコンサートを聴くなど、集中力を欠いてしまうこと甚だしいのだが、この日は違った。序盤からN響お得意のブラームスで一糸乱れぬアンサンブル。すぐに身が引き締まった。そこにヴァイオリンがすっと入ってくる。まるで鳥が水面に降り立ったかのように。
ソリストはギリシャ出身のレオニダス・カヴァコス。彼の演奏は録音ではいくつか聴いていたが、その虚飾のない演奏にとても好感を持っていた。室内楽にも定評があり、近年は指揮者としても活動しているカヴァコスだけに、この日のブラームスもごく自然にオーケストラとひとつの音楽を奏でる、という意識を持っていたように思う。ブラームス特有の管楽器との柔らかな掛け合いも、ソロからオケへフレーズのバトンを渡すような瞬間にはコンサートマスターへ目線を投げかけるなど、随所にアンサンブルを楽しんでいるのが垣間見えた。もちろんカデンツァでは惜しみなく、その見事なテクニックと芯のある深い音色を聴かせることも忘れない。ブラームスの協奏曲はソロもオケの響きと一体となり、その中で時折顔を出す、といった趣が強い。躍起になってソロを弾くのではなく、カヴァコスは力まずに演奏するスタイルで作品全体としてのブラームスの味わいを聴かせてくれた。
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮が素晴らしかった。1986年に名誉指揮者に就任してから、数々の共演を重ねてきたN響が、この90歳を超えた老巨匠に全幅の信頼を寄せているのが伝わってくる。後半のニールセンはブロムシュテットと同郷の作曲家でもあり、彼の得意なレパートリーの一つ。晦渋な作品で知られるが、この日の交響曲第5番というのは副題を持たず、更に抽象的でどこか不気味なイメージがあるのは戦争の影響もあるのだろうか。私にはあまり馴染みのない交響曲だが決して退屈しなかったのは、ところどころに印象的な楽器使いの特徴があり、第1楽章では小太鼓のバンダが印象的。リズムも複雑で調性も定まらない音楽は、時にどこか捉えどころがないような不安に駆られるが、ブロムシュテットが黙々とそれをフィナーレへと導いていく。オーケストラも聴衆もそれを信頼して、ひたすらついていくような感覚。
ほぼ満席といっていい会場は、長引くコロナ禍を脱し、ようやく光が見えてきた中での希望への渇望感もあったのか、演奏後は万雷の拍手と、思わず発してしまったらしい、一部マスク越しのブラボーも聞こえた。こうして海外の演奏家が少しずつ来日できるようになり、生のコンサートを続けて聴いていくうちに、失っていた2年間の空白を埋めているような気がする。団体としてオーケストラやオペラがやって来るのはもう少し先かもしれないが、この日のコンサートは確かな手応えを与えてくれた。
ニールセン:交響曲第5番
それにしてもあわや遅刻、開演に間に合ったのは本当にラッキーだったが、最近コンサートにまつわる失敗が多発している。実は後日にもカヴァコスのデュオリサイタルがオペラシティであったのだが、この時は余裕を持って会場に到着。席に着いても十分時間があったので開演前にトイレに寄り戻ってきたら、係員の女性に座席の間違いを指摘されてしまった。これは悲しき老眼のせいもあるのだが、注意力不足は個人的に深く反省。
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