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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

ワグネリアンへの道

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

音楽に関わる仕事をするようになって、様々な音楽を意識的に聴くようになったが、なかでもワーグナーのオペラというのは私にとって最も遠くにある存在だった。そもそもオペラというジャンル自体、一般の人にとってはどこか別世界だと思われがちである。しかし、オペラは演劇としての要素も多分にあるので、そういう角度から入れば比較的壁を乗り越えやすい。それにオペラの物語は基本的には恋愛だったり、親子の葛藤だったり、現代でも扱われる普遍的なテーマであることも多いのだから。

しかしワーグナーとなると、そこには少し特殊な事情が絡んでくる。彼は殆どの自作オペラの台本も書いている。するとそこには思想や哲学といったものが反映する。それは神話的なモティーフ、ドイツの精神性、古代叙事詩、自らの人生や恋愛をも盛り込んだ、難解だが壮大な物語となっていて、更にそれらを表現して余りある熱狂的で陶酔感のある音楽とセットで「楽劇」という形を生み出した。これは通常のオペラよりも更に大規模なもので、上演するのに4日間かかるような連作「ニーベルングの指輪」では、上演専用の劇場を作ったりしている。これが有名なバイロイト祝際劇場である。現在でもワーグナーのオペラだけを上演する音楽祭として、世界中のファンを魅了し、チケットの入手は困難を極める。

icon-youtube-play バイロイト祝際劇場

このように神格化されているのがクラシック音楽世界に於けるワーグナーである。さてそのワーグナー本人がどんな人間だったかというと、自分勝手を絵に書いたような唯我独尊タイプ。女性関係も派手でパトロンの妻と公然と不倫関係になったことも一度ではない。その恋愛模様を自作のオペラに盛り込み、初演を不倫相手の女性の夫に指揮させたりもするので到底常識人とは思えない。しかし敢えて言えば並外れた芸術家でもあったのだ。

最大のパトロンであったバイエルン国王ルートヴィヒ2世の援助を受けて、かのバイロイト祝祭劇場を建設。ルートヴィヒ2世も歴史に残る夢想家だったため、国家の財政を揺るがせてしまう。この二人は自らの理想を形にするためには他人の事情などお構いなし。そんな自己中心的な人間ほど自信に満ち溢れているもので、それが多くの人を惹きつけるのであろう。ワーグナーの場合、女性もそしてパトロンも彼の音楽活動を支えるのに手を差し伸べる者は決して少なくなかったようだ。そしてそれは時代を超えて強烈な魅力を放つ音楽として、数多くのワグネリアンを生み出しているのである。

そんなワーグナーオペラの中でも私にとって苦手意識の強かった「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が新国立劇場で上演されることになった。このオペラはあのヒトラーが好んだ作品ということでも曰く付きであり、冒頭の前奏曲は圧倒的に有名だ。政治や人道的な問題は別にしても、確かにこの前奏曲は勇壮かつ英雄的で、輝かしい音楽なのは間違いない。

icon-youtube-play 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲

今回と同じプロダクションが一度は夏に、東京文化会館で上演される予定だったのだが、不幸なことに関係者にコロナ感染者が出たことで中止。大規模なオペラだけに相当な時間と予算をかけた準備が白紙になってしまったわけで、関係者一同、この秋に新国立劇場での上演がようやく決まったことは喜ばしいニュースだった。

初日はゲネプロでも細かい指導を与えていた芸術監督の大野和士のもと、東京都交響楽団の意気込みが如実に表れた渾身の舞台だった。特に歌手陣は素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。ハンス・ザックス役のトーマス・ヨハネス・マイヤーが安定の存在感。まさしく劇中の精神的支柱ともいうべき立場の親方を好演。ベックメッサー役のアドリアン・エレートのコミカルな演技も絶妙で、エーファ役の林正子も熱演が光っていた。

icon-youtube-play 新国立劇場オペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より

マイスターたちの肖像画や、歌合戦でのソーシャル・ディスタンスや、舞台の上方で別のシーンが演じられるなど、イェンス=ダニエル・ヘルツォークの演出はかなり凝っていた。しかしこのオペラのテーマである「ドイツ芸術礼讃」という側面と、コロナ禍の現代を捉えた演出の狙いが幾分噛み合っていなかったような印象も受けた。それ故、初日は一部ブーイングも聞こえた。最後は少々後味の悪さみたいなものが残ってしまい、ワーグナー作品の中では比較的明快なハッピーエンドのオペラというのを期待した人にとってはわかりにくいものだったかもしれない。

私も今回は気合が入り、ゲネプロと本番の両方を鑑賞。上演時間は6時間でまさしく体力勝負。この長大なオペラを理解するためには予習は欠かせない、と思ったからである。しかしこれが功を奏して、本番は幕の時間配分も感覚的に身体に入っていた。オペラ鑑賞はストーリーを予め知っておくのはもちろんだが、映像を観てイメージを作っておくのをお勧めしたい。ワーグナーのオペラにはやや苦行めいたところもあるが、これを乗り越えたら立派なワグネリアンである。

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