RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
私が制作に関わる衛星デジタル放送ミュージックバードは、音質にこだわる人が好むクラシックやジャズといったジャンルに特化したチャンネルがあるのだが、この他にオーディオ・チャンネルというのがある。リスナーはオーディオ・マニアが多いので、このチャンネルでは様々なジャンルの音楽の「音」そのものにこだわった番組を作っている。
なかでもオーディオ評論家の鈴木裕さんがパーソナリティを務める番組「オーディオって音楽だ!」は、10年近く続いている人気の長寿番組である。鈴木さんは大学のオーケストラでヴァイオリンを弾いていた経験もあり、番組ではクラシック系のアーティストもこれまでたくさんゲストに出演しているのだが、今回ピアニストの内藤晃さんがゲストだという話を聞いて、番組に立ち会わせてもらった。
内藤さんはご自身もピアニストだが、往年のピアニストの演奏もかなり聴き込んでいてめっぽう詳しく、更にピアノという楽器そのものへの審美眼もすごい。音大出身ではないという点もとかく近視眼的になりやすいピアニストが多い中、総合的な音作りという点で様々なアイディアを持っていて、最近は「ソノリテ」という独自のレーベルを主宰するなど、プロデューサーとしても活躍中である。
「ソノリテ」のコンセプトは「ピアニストによるピアニストのためのレーベル」ということ。楽器の中でも最も豊かで多彩な音を持つピアノにかなりこだわっているレーベルだけに、オーディオ・チャンネルの番組で取り上げるのも至極当然である。私は共通の友人がいたことで内藤さんと知り合い、その「ソノリテ」と所属アーティストの演奏を録音やコンサートで聴かせていただくなど、最近ご一緒させていただく機会が何回かあったのだ。
番組ではまずベルリン芸術大学で学ぶ神谷悠生さんの「ラヴェル&ファリャ」の録音。端正な音の粒立ちと、いい意味で素朴な楽器の響きがミックスして、それがスタイリッシュでもある。アンティーク家具が置かれたカフェなどでも似合いそうな雰囲気で、クラシック音楽ファン以外にも大いに受け入れられそうな演奏である。
神谷悠生
次に紹介してくれたのが、鶴澤奏さんという20代の若手女性ピアニスト。現在カナダで研鑽を積んでおり、デビュー盤はオール・シューベルト。アルバムの選曲にメジャーなものは少なく、パッと取り上げられやすいタイプの内容ではない。その演奏は慎ましやかで高潔とでも言うのだろうか。下手に弾けば単に地味になりがちな、シューベルトという作曲家の限りなく純度の高い音楽の自然美を映し出す、驚くほど高い技術の上にそれを成り立たせている演奏に二度驚いた。実は彼女のピアノはライヴでも聴かせていただく機会があったのだが、このピュアな感性にノックアウトされてしまった。
鶴澤奏
続いて大内暢仁さんのバロック作品を集めた録音では、敢えてバッハを外し、ブクステフーデやパッヘルベルなどを選んでいるのも一筋縄ではない。同時にそれをモダンピアノで弾くことでバロック音楽作品の魅力を違った角度から存分にプレゼンテーションしてくれる。プロデューサー内藤晃のこれまた心憎い演出である。
大内暢仁
音色へのあくなき探究心は、ピアニストの個性や選曲を考えた時、当然ピアノという楽器にも注がれる。神谷さんの録音はわざわざ小樽でレコーディングしているが、内藤さんが信頼する調律師、川岸秀樹さんの管理するマリンホールのハンブルク・スタインウェイを使用、鶴澤さんのシューベルトではどこか温かみのある1982年製のハンブルク・スタインウェイ、大内さんのバロック作品ではニューヨーク・スタインウェイDと、その楽器のセレクション自体がアルバムの魅力にダイレクトに繋がっている。
スタジオでは次々とソムリエのように音色をテイスティングさせてくれた。三好孝市さんと鬼頭久美子さんによる、魚沼にある小出郷文化会館のベヒシュタインのピアノを用いたブラームスのヴァイオリンソナタがえも言われぬ魅力を放っていたのも忘れ難い。
三好孝市&鬼頭久美子
また内藤さんはインタビューで「音楽を自己表現の手段にしていない演奏」こそ優れた演奏であると答えている。まさに作品の本質をあるがままに投影させる演奏は、ピアニスト内藤晃の真骨頂でもある。
彼がレコーディングの合間に遊びで爪弾いたという小曲集を6月頃まとめて発表する予定、とのことで番組では一足先にセヴラックの「ロマンティックなワルツ」をかけた。久しぶりに耳にするこの少し鄙びた美しさとリズムを持つ、南仏の作曲家の音楽にもまた心が弾む。以前地上波でクラシック音楽の番組を担当していた時には、舘野泉さんが演奏するセヴラックのピアノ曲をよくかけていた。比較的短くて、ほとんど組曲形式のセヴラックは限られた時間の中でも使いやすく、標題がついていることでイメージを伝えやすいのもあるが、聴いていてどこか懐かしい雰囲気が漂うとても素敵な音楽だ。
セヴラック:ロマンティックなワルツby内藤晃(P)
実は2022年はセヴラックの生誕150年にあたる。これを記念したオール・セヴラックのコンサートもあるそうで、内藤さんから次から次へと紡ぎ出される情報とアイディアに今、大注目の私なのであった。
清水葉子の最近のコラム
目黒爆怨夜怪とノヴェンバー・ステップス
先日、友人Cちゃんの誘いで薩摩琵琶を伴う怪談のライブに行った。人気怪談師の城谷歩さんと薩摩琵琶奏者の丸山恭司さんによる「目黒爆怨夜怪」と題されたイベントは、文字通り老舗ライブハウス「目黒ライブステーション」で行われた。折…
西洋音楽が見た日本
ぐっと肌寒くなってきた。仕事が少し落ち着いているこの時期、私もコンサートや観劇に行く機会が多くなっている。ただ日々続々とコンサート情報が出てくるので、気が付くとチケットが完売だったり、慌てて残り少ない席を押さえたりするこ…
もう一つの『ローエングリン』
すごいものを観てしまった。聴いてしまったというべきか。いや、全身の感覚を捉えられたという意味では体験したといった方が正しいかもしれない。 なんといっても橋本愛である。近寄りがたいほどの美貌と、どこかエキセントリックな魅力…
知られざる五重奏曲
室内楽の中でも五重奏曲というのは、楽器編成によって全くイメージが変わるので面白いのだが、いつも同じ曲しか聴いていない気がしてしまう。最も有名なのはやはりシューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」だろうか。小中学校の音楽の授業でも…
ムーティ指揮『アッティラ』演奏会形式上演
東京・春・音楽祭の仕事に関わっていたこの春から、イタリアの指揮者、ムーティが秋にも来日して、ヴェルディの「アッティラ」を指揮するということを知り、私は驚くと同時にとても楽しみにしていた。音楽祭の実行委員長である鈴木幸一氏…