

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
2022年は寒さとともにやってきた。新年が明けて間もなく、東京では雪が降り、私はちょうどその日に番組の収録があって半蔵門のスタジオに入っていた。皇居側の窓があるスタジオからお堀の緑がだんだんと白く染まっていくのを眺めながら、その時収録していたラフマニノフの音楽が、まるで映画音楽のように雪景色と見事にオーバーラップするのを感じていた。
ラフマニノフの音楽には冬が似合う。もちろんロシアの作曲家であることもそんなイメージに一役買っているのだろうけれど、重厚な和声は教会の荘厳な鐘の音を、とろけるような甘美なメロディーは凍てつく空気の中での温もりのような美しさを感じさせる。楽譜上で一見すると複雑な音符の連なりが、音になった途端に、一度聴いただけで人の心を惹きつけてやまない魅力を放っている。
パガニーニの主題による狂詩曲第18変奏byD.トリフォノフ
その作品は現在では演奏家にとってなくてはならないレパートリーでもある。CMなどで盛んに用いられる「パガニーニの主題による狂詩曲」を始め、ピアノ協奏曲は特に若手ピアニストの試金石でもあり、その他にも交響曲、それに匹敵する交響的舞曲などのオーケストラ作品、ピアノ独奏曲はもちろんだがチェロソナタも人気が高い。ロマン派的な書法の音楽は非常にムーディーでドラマティックでもあるので、フィギュアスケートのBGMなどでもよく使用されている。
交響曲第2番byA.プレヴィン指揮LSO
浅田真央選手(ラフマニノフ「鐘」)
そのセルゲイ・ラフマニノフは20世紀に生きた作曲家である。1873年ロシアのノヴゴロド生まれ。前衛音楽が注目されたこの時代には、大衆には人気があったものの、当初は評論家などに酷評されることが多かった。両親とも裕福な貴族の家系だったが、ラフマニノフが生まれた頃には没落しており、彼は奨学金を得て音楽学校へ入学。やがてモスクワ音楽院でピアノや対位法を習い、チャイコフスキーにも認められるようになる。ここでの同級にはスクリャービンもいて、飛び抜けて優秀だった二人が卒業時には首席を分かち合ったというエピソードもある。
彼の作品の中でなんといっても断トツ人気を誇るのがピアノ協奏曲第2番だ。名ピアニストがひしめく録音の中で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とのカップリングは人気を博している。この組み合わせで私が学生時代から愛聴していたのがアシュケナージによる演奏。程よくロマンティックで程よくロシア的。テクニックも申し分なく、ハイティンクの指揮ということもあり、非常にバランスの良い演奏だ。しかし今回リヒテルの演奏を久しぶりに聴いて、第1楽章のピアノソロから始まる、まるで重い戦車がゆっくりと進んでいくようなテンポ感の冒頭、威厳さえ感じさせるフレージングに往年のピアニストとしての凄みを改めて感じた。
ピアノ協奏曲第2番byリヒテル
第3番の協奏曲はより通好みと言えるだろうか。知名度では第2番に譲るものの、技巧的にも音楽的にも難易度は勝る。私はキーシンの20代の時の演奏が好きでよく聴いていたものだが、番組で使用したホロヴィッツの天衣無縫の輝きに満ちた演奏に心惹かれたりもする。ホロヴィッツはレパートリーが狭いピアニストの代名詞でもあるが、得意とする作品の完成度は他を圧倒する。
ピアノ協奏曲第3番byホロヴィッツ
新しい世代ではトリフォノフがラフマニノフの第1〜4番全ての協奏曲とパガニーニの主題による狂詩曲まで網羅して録音している。実はトリフォノフはラフマニノフと同じロシアのノヴゴロド出身。同郷の作曲家に大いに共感を抱いているらしく、これは現代を代表する名盤と言っていいだろう。指揮を務めるネゼ=セガンとラフマニノフとは縁の深いフィラデルフィア管弦楽団がさすがに上手い。余談だがトリフォノフの公式HPがまるで短編映画のように作り込んであって、一見の価値ありなのでここに記しておこう。
ダニール・トリフォノフ(P)
ここまで気付けば全てロシアのピアニストの演奏を挙げていることに自分でも驚く。しかもラフマニノフ自身が優れたピアニストだったので、彼の自作自演も残っているのだ。もちろんモノラル録音だが、そこには意外なほど淡白であっさりとした印象の、しかし驚くほどにソリッドなテクニックを持つ演奏が聴ける。聴き比べてみるとホロヴィッツの演奏が一番ラフマニノフと近いかもしれない。
ラフマニノフplaysラフマニノフ
番組では取り上げなかったものの、私が非常にラフマニノフらしい作品だと思うのが2台のピアノのための組曲である。第1番より華やかで演奏効果の高い第2番には特に名盤が多い。ここでようやくロシア以外のピアニストが登場。アルゲリッチと昨年秋に亡くなったフレイレとのデュオである。アルゲリッチは気の合う仲間と演奏すると一層テンションを上げるタイプだが、テクニックも彼女に引けを取らないフレイレとの丁々発止は更にスリリング。この曲の持つラフマニノフらしい重厚なピアニズムを堪能するのに最適である。
2台のピアノのための組曲第2番byアルゲリッチ &フレイレ
またラフマニノフの作品に度々顔を出す〈ディエス・イレ〉のモティーフ。「パガニーニの主題による狂詩曲」のラスト第24変奏では顕著にあらわれているが、後半生アメリカに渡ったラフマニノフ自身の原風景として、ロシア正教会の典礼や聖歌のモティーフは作品の中に刻印のように散りばめられている。
最後に最もロシア的、スラヴ的なラフマニノフの側面を聴くことができるのが無伴奏合唱曲「晩祷」。静かな雪の夜に聴くだけでもまるで荘厳で美しいロシアの教会の中に佇んでいるような錯覚を覚える。
晩祷
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