
RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
雨の日曜日、友人と食事した後に職場近くの半蔵門駅にほど近い、JICCフォトサロンで開かれている木之下晃の写真展に寄ることにした。仕事の合間にいつでも行けるから、と油断していたら既にその日が最終日だったのである。土日祝日の半蔵門界隈はいつも静かだ。この日も雨足が強くなっていたせいか、ことのほか人通りも少なかったが、ゆっくりと鑑賞するにはかえって好都合だった。会場に入るとモノクロームの肖像写真が壁一面に展示されていた。
木之下晃は世界のクラシック音楽家の演奏する内面を表した作品群で知られる写真家だ。ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン、小澤征爾など、多くの巨匠たちが彼の作品をオフィシャル・フォトとして使用している。今回の写真展は「石を聞く肖像」と題されたもの。木之下が50代半ばにフィンランド政府から2度目の撮影招聘を受け、いつもとは違う視点で撮影することを模索していた時に目に留まったのが、机の上に置かれた卵のような乳白色の石だったという。彼はこの石をアーティストに渡し、「この石を見て感じたことをカメラの前で表現してください。」と自由にポーズをとってもらい、撮影に臨んだ。この撮影は20年以上かけて200点以上のポートレートを生み出した。指揮者、演奏者、声楽家、振付家、映画監督など様々な分野で活躍する世界的なアーティストたちのユーモラスな姿は、彼らと交流の深かった木之下だからこその作品、ということができるだろう。
個性豊かな芸術家たちのポーズと表情は実に面白い。石を頭に乗せる指揮者のクラウディオ・アバド、クルト・マズア、そして振付家のローラン・プティ。耳に当てるのは指揮者のセミヨン・ビシュコフ、エサ・ペッカ・サロネン、頬ずりしたり、顔に押し当てているのはピアニストのマルタ・アルゲリッチ、チェリストのミッシャ・マイスキー、石をレンズのように目に当てて覗き込んでいるのは指揮者のサイモン・ラトル、作曲家の坂本龍一。これだけで既に彼らの芸風とキャラクターが少し感じられるのではないだろうか。バランス感覚のアバドやプティ。鋭い耳の持ち主ビシュコフ、サロネン。熱い情熱の音楽を紡ぎ出すアルゲリッチ、マイスキー。時代の先端を行く好奇心旺盛なラトル、坂本。
アバド
サロネン
アルゲリッチ
体から少し離して石を見つめるのは指揮者のヴォルフガング・サヴァリッシュ、リッカルド・ムーティ、ピアニストのクリスティアン・ツィメルマン。音楽にも客観性を持ってクールに真摯に取り組む彼ららしい。
ツィメルマン
石をお手玉のように手の上で浮かせているのはやはり幅広いレパートリーを誇る器用なアーティスト、指揮者のロリン・マゼールやピアニストでもあるウラディミール・アシュケナージだ。
アシュケナージ
オリンピックでもお馴染みのポーズだが、石を齧る人も何人かいる。指揮者のオッコ・カム、ピアニストのエフゲニー・キーシン。自分の音楽や芸術を消化したい、というタイプなのだろうか?
キーシン
またスポーツ好き、特にサッカーファン代表としては指揮者ダニエル・ハーディングやピアニストのパウル・バドゥラ・スコダが石をボールに見立てて足に乗せている他、野球ファンの指揮者ジョルジュ・プレートルはピッチャーの仕草をしてみせる。
ハーディング
またポーズや表情が特にユーモラスなのは何と言っても声楽家陣だ。オペラの舞台で数々の演技をこなす彼らのポージングはいかにも様になっている。ホセ・カレーラスは石を捧げ物のようにスマートにこちらに差し出しているし、プラシド・ドミンゴは「私は本当はピアニストになりたかった。」という注釈を付け、ピアノの鍵盤上に石を置いてポーズをとっている。ヴィンツェンツォ・スコーラは横顔のアングルで「低い鼻を高くしたい。」と鼻に石を乗せている。ロベルト・アラーニャは海賊になりきって石を目に当てバンドで止めているが、かなり凝り性な性分を感じさせる。セッティングにも時間がかかっただろう。ワルトラウト・マイヤーに至っては「私はおっぱいが小さいので、大きな胸が欲しいわ。」とドレスの胸元に石を挟んでいる!
ロベルト・アラーニャ
ワルトラウト・マイヤー
「石を持った瞬間に被写体の人生がそのまま出てきます。その一瞬を捉えるために雑念を払って被写体と対峙し続けました。」と木之下は語る。『音楽を撮る』をテーマに活動を続けた彼ならでは言葉だ。
私も番組で音楽家のゲストを迎えることも多いのだが、その時にいつも感じているのは、その人の話し方や選ぶ音楽、その全てが演奏に表れているなぁ、ということだ。音楽や芸術は人間が生み出すもの。自身の中にある感情や思考が深く混じり合い、咀嚼され、芸術として再生される時、当然フィルターとなるその人間性と切り離しては考えられない。今回の「石を聞く肖像」展はまさにそれを思い出させてくれた。写真から音楽が聴こえる、という稀有な体験をした日曜日だった。
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