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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

能とオペラ

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)

クラシック音楽はヨーロッパ、西洋の音楽であることは言うまでもないが、21世紀においては世界的に活躍する日本人演奏家がたくさんいるように、日本人の優れた作曲家ももちろん大勢存在する。ところがその日本人作曲家の作品を聴く機会は、一般の人達にとっては圧倒的に少ないというのが現状だ。特に「現代音楽」というジャンルにおいてはなかなか集客が見込めない、という事情によりどこの劇場も敬遠しがちではある。

私自身も現代音楽が大得意というわけではないが、既に仕事でいろいろ見聞きしてきたので苦手意識はない。興味深いプログラムが2月に予定されている。先日私は、その日本人作曲家のオペラ日本初演に先駆けて開催された舞台のレクチャー「能とオペラ」を聞きに国立能楽堂へ出掛けた。その作品というのは世界的に活躍する作曲家、細川俊夫が書いたオペラ『松風』。能『松風』を基にドイツ語でオペラ化したものだ。当日は簡単に能の『松風』の実演が舞囃子形式で行われ、それを演じる能楽師の観世銕之丞、細川俊夫などが座談会で作品について語る、というものであり大変に興味深い内容だった。

『松風』の簡単なあらすじを当日のプログラムからご紹介しよう。秋の夕暮れに旅の僧が須磨の浦を訪れると浜辺に一本の松がある。それはかつてこの地に下った在原行平が寵愛した姉妹、松風と村雨の墓標であった。やがて二人の汐汲み女が現れる。彼女達は松風と村雨の亡霊で恋人行平への思慕の念を語り、魂の平安を旅の僧に請い願い、姿を消す。夜が明けて僧が目覚めるとそこは松を渡る風が吹き抜けるのみ、という幽玄能の典型的な形式である。

icon-youtube-play 能「松風」

この物語に象徴されるように能は非常にシンプルな舞台芸術だ。舞台そのものも簡素だが、特徴的なのは「橋掛り」という舞台袖への道筋があることである。これがこの世とあの世を結ぶ役割を果たしていて、そこから登場人物たちが現れる時、生身の人間であったり、亡霊だったりする。しかし舞や舞台上の演出も小道具も、極めて削ぎ落とされた動きによって展開される。演者でさえ、主役のシテは能面を付け、表情は一定のままである。そこに観る者は姉妹の切ない想いや汐汲みの情景などを想像する。ストーリーを語るコーラスの地謡もあるが、舞台が無音の状態もかなりある。能の世界が無と静寂の中にあるとすれば、オペラはどうこの物語を描くのか。実は海外の作曲家が能を基にオペラを書いている例はいくつかあるが、細川氏によると間違った解釈の上に成り立っているものも多いという。日本の伝統芸能である能楽の『松風』を日本人である作曲家の細川氏がどうオペラ作品にして、海外の演出家がどのように舞台化するのか非常に興味をそそられるところである。

オペラ『松風』は既に2011年にベルギーのモネ劇場で世界初演されているが、レクチャー当日は今回のプロダクションの舞台映像を一部モニターで観ることができた。世界有数の振付家サシャ・ヴァルツが演出、コレオグラフィック・オペラとして完成させたもの。天井から宙吊りになって、歌いながら松風と村雨の姉妹が登場するなど意表を付く演出は、能の舞台とは一線を画したものである。細川氏自身も対談の中で、「能として完成された『松風』がある以上、それを模倣しても意味がない。オペラとして独自の『松風』を作り上げようと思った。」と言うようなことを述べていた。西洋の文化として花開いたオペラという形式での『松風』だ。

icon-youtube-play オペラ「松風」予告映像

また対談の中で観世銕之丞が語っていた言葉が印象的だった。「能は難しくてよくわからない、という人がいるけれど、優れた芸術は見てすぐにわかる、というものではない。それを感じとり、持ち帰って考えるものだ」と。クラシック音楽もとかく難しい、より分かり易く、というアプローチがされがちだ。もちろん噛み砕いて簡潔に説明することで、音楽の内容が理解しやすくなればより多くの人に興味を持ってもらいやすい、ということもあるだろう。だが、感じたことを自分の中で吸収することが重要だ。作り手と受け手の双方に作用する、それが芸術の真価ではないだろうか。私は前々回のコラムで芸術は人を救うためのものだ、と書いたのだが、まさにこのことに結び付くのではないか、と思った。優れた芸術作品に触れることで多くの人がその感動の種を自分の中に埋め込まれる。その種を育て、花を咲かせるのはその人の考え方、生き方次第だ。種はできるだけたくさん撒かれた方がより豊かな大地になるように、今回の『松風』も様々な人に感動と示唆を与えてくれるものであるよう期待したい。

オペラは新国立劇場開場20周年記念公演と銘打って、2月16日から3日間に渡って上演される。舞踊と声楽が一体となった演出がどんな世界を見せてくれるのか、私も今から楽しみにしている。

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