
RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
先日ピアノの調律をした。音大卒業以来すっかりピアノから離れてしまっていたのだが、今のマンションに引っ越してからアップライトピアノを実家から持ち込んだ。とは言え、ごくたまに知り合いの結婚式だとかで頼まれて弾くくらいで最近では殆ど触っていないけれど、それでも1年に1度は調律をしてもらっている。
ピアノに対する罪滅ぼしみたいなもので、バカな話だが調律師がやってくる直前に急にピアノを弾いたりする。普段弾いていないから音階=スケールから指慣らしをして、運動前のウォーミングアップのように徐々に鍵盤と指の違和感をなくしていくのだが、私はその時の気分で弾きたい調性を選ぶ。私の個人的な感覚だが、調性が複雑になればなるほど曲の色味も複雑になる。絵の具をパレットの上で混ぜ合わせるように、気に入った色味に整えるのが大変な作業になるのだ。この日は疲れが溜まっていたのでハ長調。白鍵だけを使うせいなのか、ハ長調は混じり気のない白のイメージだ。まず私が弾くのはバッハの平均律クラヴィーア曲集。この曲集は第一巻と第二巻があり、ピアノを学習する人なら誰でもよく知っているであろう、それぞれ24の前奏曲とフーガが全ての調性で書かれている。前奏曲は多少指慣らしの延長のようなところもあり、フーガは楽譜を読むのに必要な脳の中のある部分を(具体的にどの部分なのかはわからないが)活性化してくれるような気がするのである。いわば前奏曲は指のウォーミングアップ、フーガは頭のウォーミングアップである。
さてこの平均律クラヴィーア曲集第二巻の始めのハ長調のフーガは3声。4分2拍子の快活な主題=テーマで始まる。なにしろほぼ1年ぶりなので指がおぼつかない。当然始めはゆっくりと練習する。内声からテーマが入り、3つの声部が次々と入ってきて音楽が動き出す。楽譜を見ながら次のフレーズを先に脳内再生しつつ鍵盤を押していく。学生時代から比較的初見は得意な方だったのだが、さすがにこれだけブランクがあるとつらい。またまたテンポを落としてさらう。そうすると楽曲の持つ快活なリズムがたちまち失われてしまい、この辺りでイライラし始めた。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第二巻byニコラーエワ(P)
前奏曲もハ長調だからと侮っていると中ほどに差し掛かる頃には次々と転調がある。ハ長調のピュアな響きが徐々に複雑な色味を帯びてくる。中判に差し掛かったところで突如急激に音の色彩がガラリと変わったのに気が付いてハッとした。そしてふと思った。学生時代はそれこそ毎日ピアノを弾いていたわけで、技術的にも難しい楽曲をもっとたくさん弾いていた。この第二巻の1番のハ長調も当時は難なく弾いていたと思う。しかしその時分にこの部分でこの転調の色彩の変化にこれほど気付かされただろうか? フーガのテーマも今ほど独立した声部としてそれぞれを認識していただろうか?
恥ずかしいことに音大時代はピアノ以外の音楽を殆ど聴いていなかったと言っても過言ではない。ピアノという楽器は一人で何声部もの音を奏でることができる代わりに、その声部の個々の流れを作るのは難しい。特にポリフォニー=多声音楽ではよほど慎重にそれらの声部を意識していないとただの団子の和音になってしまい、音楽の流れは失われてしまう。ピアノを弾くことから長く離れている間に、私は私なりに様々な音楽を聴いてきた。交響曲や室内楽、オペラや歌曲。グレゴリオ聖歌からジョン・ケージまで。まだまだ聴いていない、知らない音楽も山ほどあるし、聴き込んでいるともいえないのだが、それでも音楽の深いところにある何かを聴き取ろうと知らず知らずのうちに耳が注意深くなっていたのかもしれない。そうするとピアノを弾くという行為は学生時代のようにただ課題をクリアしていく、という感覚とは違う、純粋に音楽を奏でながらも注意深く「聴く」というものに変化しているのである。小一時間ほど練習を重ね、ある程度弾けるようになった頃、調律師がやってきた。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第二巻byグールド(P)
数時間後、調律をしてもらったピアノで再び同じ前奏曲とフーガを弾いた。見違えるように響きがクリアになったハ長調から始まって、色とりどりの転調を経て最後はハ長調に戻って終わる。前奏曲とフーガそれぞれ2ページほどの短い楽曲の中にこれほどの宇宙が詰まっているバッハの世界にもまた驚きを新たにする。ピアノを弾くことで音楽を堪能する感覚を久しぶりに思い出して、もう少し弾き続けていたいと思ったのも束の間、マンションという住宅事情では夜間に音を出すことが憚られる時間となってしまったのだった。
しばらくするとまた会えない時間が増えてしまうのかもしれない。春も間近の休日、久しぶりのピアノとの再会。これからもちょくちょく会おう、と約束しながら日頃の雑事に追われてなかなか実現しない、それはまるで懐かしい友人のように。
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