RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
いきなりクラシック以外の音楽の話で恐縮だが、近頃「MUST BE UKTV」という番組をNHKのBSプレミアムで深夜放送している。70〜80年代イギリスで放送された音楽番組をひたすら流している、というものなのだが、見たことも聞いたこともないアーティストがかなり登場する。しかも他の音楽番組にありがちなキャプションや説明臭いナレーションはいっさいない。メジャーであってもそうでないアーティストでも、等しく映像を流している。それをぼーっと観ていると、やはりインターネットのない時代に遠く離れた島国日本でそれなりにヒットし、話題になるバンドやミュージシャンというのは、いかにふるいにかけられたものだったのか、というのが如実にわかる。今も現役で活躍しているスティング、ポール・ウェラー、ロッド・スチュアートなどとともに、音楽的内容はもちろん、衣装やステージングに至るまで、趣味の悪い、アクが強過ぎてこれじゃあ人気出ないだろう、というものまで玉石混交。それはそれで観ていてとても面白い。
スティング
ポール・ウェラー
ロッド・スチュワート
そう、日本で人気のあったミュージシャンたちは押し並べて洗練されているのである。レコード会社のプロモーション、スポンサーや代理店の後押しを得て売り出されたミュージシャンに趣味の悪いのがいるわけがない。万人に受け入れなければ成功しないのだから。
そもそもロックはブルジョアに対する反骨精神から始まった音楽だ。しかし1960年代に登場した、当時のローリング・ストーンズやビートルズなどのビッグネームたちがどんどん大金持ちになりピラミッドの頂点となってしまうと、その後ベイシティローラーズのようなアイドル化されたスターたちがエンタメ界を席巻するようになる。そこで本来の反骨精神を取り戻そうと登場するのがパンクロックだったが登場した時には先鋭的だったものの、次第に巨大な音楽マーケットの渦に巻き込まれ、それも金儲けの道具となってしまった。
クラシック音楽の場合はどうだろう。もともとこんなに音楽が多様化する以前は作曲家も貧しく、王族や貴族といった特権階級に庇護してもらって活動していたわけで、音楽家の立場は常に危ういものだった。彼らは庇護者のご機嫌をとるような作品も書かなければならなかったのだ。現代はクラシック音楽のマーケットが小さいのでロックやポップスとは多少事情が異なるが、実力はさほどでなくても容姿端麗であればある程度売れる、とか共通するところもある。また現代音楽のコンサートは集客が見込めないから敬遠する、といった傾向は常だろう。
またクラシック音楽の演奏家をはじめ、この業界の人々を見回してみても、貧しい家庭に育ったという人は少数派だ。両親が経営者だったり、高名な医師や学者だったり、世界中を飛び回るエリートだったりすることが多いのである。別にそれ自体は問題でも何でもないし、そうした環境の中にいれば当然高い教養のもとに教育が受けられるし、素晴らしい人材が育つのは至極もっともだ。音楽を職業にした時、それ自体がお金にならないというのはあるだろう。しかし問題なのは貧しい家庭環境では楽器を持つことはおろか、音楽を聴く環境にもいられない、というのが本当のところではないだろうか? そうしていつの間にか一部の人のみが愛好し鑑賞するものになってしまっている。
東大生の両親の年収が1000万円近くあるのが学生の半数以上だとかいうデータも一説にある。親の年収の差がそのまま教育格差につながるというのは、音楽教育においてもこれは見逃すことができない事実だろう。頼みの綱の奨学金も結局は借金としてその後の人生の足枷になるようならそれは大問題だ。
思えばこのような状況の中、画期的だったのは南米ベネズエラでの取り組み、エル・システマだ。経済学者で音楽家でもあるホセ・アントニオ・アヴレウ博士の提唱によって誕生した、家庭の経済状況に関わらず、国の公的融資によってすべての子供が無償で音楽教育を受けられる、という「音楽の社会運動」である。そこから世界に羽ばたいたグスターヴォ・ドゥダメルのような指揮者もいる。
ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ
しかしこの取り組みも国の経済状況の悪化により翳りが出始めている、という話も聞く。日本でも国や地方自治体の財政がひとたび悪化すると、文化や芸術に対する援助や融資がまず削られる。確かに人々の生命や生活を維持することが最低限守られるべきことで、そこに財源を投資するのは真っ先に優先されることだろう。でもそこに残る漠然とした疑問。音楽はお金持ちのものでしかないのか? ということだ。
マーケットが小さいのはクラシック音楽に対しての理解が足りないという点は大いにあり得る。音楽を好きになるにはまず音楽を聴かなければならない。どんな境遇にある人にも等しくその機会が与えられて欲しいし、良いものは等しく評価されるべきだろう。深夜の音楽番組を観ながらとりとめなくそんなことを思った。
清水葉子の最近のコラム
目黒爆怨夜怪とノヴェンバー・ステップス
先日、友人Cちゃんの誘いで薩摩琵琶を伴う怪談のライブに行った。人気怪談師の城谷歩さんと薩摩琵琶奏者の丸山恭司さんによる「目黒爆怨夜怪」と題されたイベントは、文字通り老舗ライブハウス「目黒ライブステーション」で行われた。折…
西洋音楽が見た日本
ぐっと肌寒くなってきた。仕事が少し落ち着いているこの時期、私もコンサートや観劇に行く機会が多くなっている。ただ日々続々とコンサート情報が出てくるので、気が付くとチケットが完売だったり、慌てて残り少ない席を押さえたりするこ…
もう一つの『ローエングリン』
すごいものを観てしまった。聴いてしまったというべきか。いや、全身の感覚を捉えられたという意味では体験したといった方が正しいかもしれない。 なんといっても橋本愛である。近寄りがたいほどの美貌と、どこかエキセントリックな魅力…
知られざる五重奏曲
室内楽の中でも五重奏曲というのは、楽器編成によって全くイメージが変わるので面白いのだが、いつも同じ曲しか聴いていない気がしてしまう。最も有名なのはやはりシューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」だろうか。小中学校の音楽の授業でも…
ムーティ指揮『アッティラ』演奏会形式上演
東京・春・音楽祭の仕事に関わっていたこの春から、イタリアの指揮者、ムーティが秋にも来日して、ヴェルディの「アッティラ」を指揮するということを知り、私は驚くと同時にとても楽しみにしていた。音楽祭の実行委員長である鈴木幸一氏…