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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

羊と鋼の森の案内人

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)

先日6月8日公開予定の映画「羊と鋼の森」の試写会に出かけた。ちょっと不思議なタイトルだが、これはピアノ調律師の話である。〈羊と鋼〉というのはピアノの中の部品を表している。「羊」の毛で作られたハンマーで、「鋼」の弦をたたいて音を鳴らし、木材でできた響板で響きを作るのがピアノという楽器だ。こうした構造を聞くだけでもピアノという楽器の複雑な作りを知ることができるだろう。だからピアノは専門の調律師が必要となる。複雑な構造を理解し、それを具体的に音に生かしていく技術、身体的な動きとの関連性と知識、音色や空間の響きに対する繊細な耳、などあらゆる能力が必要とされるのが調律師という仕事だ。自身で楽器を調整することがないピアニストにとっては片腕ともいうべき存在である。しかし今までその世界に光が当たることはほとんどなかったと言ってもいい。この映画はピアノとピアニスト、そして調律師の切っても切れない関係と、「音」というものが作り出す繊細で凝縮された世界を描いた物語である。

原作は本屋大賞を受賞した宮下奈都の小説。こうした小説は文章の中に現れる「音」を読者それぞれが頭の中に響かせているものだ。それを具体的に共通する現実の「音」として聴かせるのにはなかなか難しい部分があると思うが、小説の繊細な表現を損なうことなく、美しい映像と必要最小限の音楽と言葉で作り上げているこの映画は、ほぼ忠実に小説の世界をそのまま映像化している。監督は若手の橋本光二郎。また劇中のエンデイングテーマはスタジオジブリや北野映画の音楽も手掛けている作曲家の久石譲、ピアノ演奏は辻井伸行という豪華な顔ぶれである。

icon-youtube-play 映画『羊と鋼の森』予告

主人公の青年は高校生の時に、学校の体育館に置かれたピアノの調律の現場に偶然居合わせたことから、調律師という仕事の魅力にとりつかれる。幼い頃から山の中で育った彼はピアノの音に森の空気と匂いを感じるのだった。やがて調律の専門学校を卒業し楽器店で見習いとして働く中、ピアニストの卵である姉妹と出会い、彼女たちの演奏を通じて理想の音を探し求めていく。主人公にとってキーマンとなる調律師を演じていたのは三浦友和。誠実で職人肌の役を味わい深く演じていた。またピアニストの姉妹を演じるのはリアル姉妹の上白石萌音、萌歌。彼女たちの演奏シーンもピアノ経験者ということで一見の価値がある。それにコンサートの場面に登場するホールが自分の母校のホールだったのも私にとってはちょっとした発見だった。

また映画の中にはその姉妹の弾くピアノ曲が流れる。ラヴェルの「水の戯れ」やショパンのピアノソナタ第3番など姉妹の紡ぎ出す音色の違いを具体的な楽曲でイメージを形にしてくれるのは映画ならではの手法だ。

icon-youtube-play 水の戯れ

icon-youtube-play Rafal Blechacz – Chopin Sonata N°3 – Mov 4°, Presto, non tanto.

近年では、楽器本体への探求と注目も熱い。作曲家が作曲した当時の音色を、当時の楽器を使って再現しようとする試み。フォルテピアノでの演奏が増えているのもこうした流れの一貫といえる。また音律も時代によって変わっている。時代が違えば環境が変わる。環境が変わればその時の空気も違う。そこに響いている音楽もまた違う。音楽を理解しようとする時、当然その媒体となる楽器を考えるのは当然のことである。そうした楽器に向き合うことを専門とする人々の世界を知ることもまた、とても大切なことだ。今こうした小説や映画が出てくるのも必然のような気がする。

この「羊と鋼の森」の物語で私が強く印象に残った台詞がある。姉妹のうち姉が、自分のピアノに対して悩みを抱えながら成長し、主人公と交流を深める中でプロのピアニストとして生きていくことを決意する場面での台詞だ。

「ピアノを弾く人ならみんなわかっていると思います。ひとりなんです。弾きはじめたら、結局はひとりなんです」

ああ、そうだ。まさに私がピアノという楽器に感じていたことがこの言葉に集約されている気がした。どんな楽器で演奏するよりそれは「孤独」である、ということ。あらゆる和音を同時に鳴らせるのでオーケストラの音を再現することも可能だし、ピアノ一つで演奏が完結する。しかしそれはあまりにも完成された楽器だということだ。完成され過ぎていることへの絶対。まるで深い森の中に置き去りにされたような孤独。その孤独に気付いてしまうピアニストは、例えばグレン・グールドのようにライブでそれと向き合うことをやめてしまったり、マルタ・アルゲリッチのようにソロには距離を置き、仲間たちと室内楽やアンサンブルでの活動を中心にしたり、また指揮者への道を切り開いていく者も少なくない。一流の天才ピアニストたちでさえそうなのだ。少しピアノをかじっていた自分も、そんな孤独の世界に身を置くことは耐えられなかったのかもしれない、とふと思ったりもする。

ピアニストの孤独に、もっとも寄り添うことができるのが調律師だ。それは「羊と鋼の森」の中に迷い込んだ彼らの道案内人となってくれる存在なのかもしれない。

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