RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
私が担当している番組 TOKYO FMのSYMPHONIAでナレーションを担当して頂いているフリーアナウンサーの外川智恵さんは母校の大正大学表現学部の准教授でもある。近年はどの大学もより専門性を重視した学部が創設されているが、大正大学もマスメディアやエンタテイメント業界に特化した学部やコースがあり、かなり具体的なシミュレーション学習もあるようだ。外川さんが担当されているエンタテイメントビジネスコースでは時々ゲスト講師を招いて、現役で活躍する様々なエキスパートの話を直接聴ける講義を設けている。先日、どういうわけか私もラジオディレクターとしてここで講義をすることになった。外川さんから思いがけないこの申し出を受けた時、私なんかが何を話したらいいのか見当がつかなかったのだが、仕事をする上で大切に思っていることや、自身の経験で構わない、とのことだったので、ラジオとクラシック音楽に若い人にも興味を持ってもらえる機会かもしれない、と思い引き受けることにした。
ブリテン:青少年のための管弦楽入門
月曜日の一時限目、ということで朝9時前に大学に行くことになった。それなりにたくさんの学生の前で話をする以上、いつもの(奇抜な)ファッションではまずい。一応ジャケットを着用して社会人らしく、やや地味目に身支度を整えて大正大学のある巣鴨に向かった。私が大学生だったのははるか20年以上昔のことだから比ぶべくもないが、近年はどの大学も美術館かホテルのようなスタイリッシュな佇まいである。先日私の母校の音大も立て替えられたばかりで、見違えるようになっていたが、エントランスがガラス張りの棟の中にその講義室があった。講義室には40人ほどの学生が座っていただろうか。途中遅れて入ってきた学生もいたので、総勢50人近くいたように思う。
ブラームス:大学祝典序曲
今回の講義は外川さんのアイディアで対談形式で行うことになった。言わばラジオ番組のような形で講義を進めようという試みである。そこで私が簡単な台本を作り、それに沿ってトークを進めた。全体としては3部構成。第1部は私個人のプロフィール的なことからラジオ業界で働くことになった経緯、第2部はラジオ制作の現場についての具体的な話、第3部は女子学生が多いということで、働く女性としての様々な側面について。意外なほど学生の皆さんが熱心に聴いてくれているのにびっくりした。私がこのコラムで「ラジオディレクターの仕事」というタイトルでその仕事内容を書いていたので、あらかじめ読んでおいてもらうようにお願いしていた。すると事前にいくつかの質問事項が投げかけられた。講義の中にその質問事項の答えも盛り込んで台本を書いたのだが、「睡眠時間はどのくらいか?」「既婚率はどのくらいか?」といった質問も。おそらく制作現場の大変さを予想してのものだと思うが、できる限り正直に答えた。
アイヴズ:答えのない問い
第2部に入るところでこの台本を講義室で配った。番組の台本作りもディレクターの仕事の一つなので、それを具体的に見てもらおうと思ったのである。反応は様々で、「台本があるとは思わなかった」とか「台本通りに話が進んでいたのに感動した」とか「台本に書かれた時間配分と大分違っていて心配した」とか。学生の素直な感想が新鮮だった。
私が講義で強調したのは「ディレクターとして必要な能力は何か?」という質問に対しての答えで、「特殊な能力は必要ありません。社会人として当たり前の常識を持っていること。それは時間を守る、締め切りを守る、連絡を忘れない、といった基本的なことをきっちりやること。後は多少のコミュニケーション能力です。」ということ。これが予想以上に反響が大きかった。特殊能力が必要なのはアーティストや表現者。それを番組という形でリスナーに届けるのがディレクターの役目だからである。
後日、私の講義を聴いた学生たちのレポートが提出され、50人以上が驚くほどきちんと講義を聴き、その内容 について細かく感想を寄せてくれた。「好きなことを仕事にできて羨ましい」とか「ラジオの仕事に興味を持った」とか「これからどんな仕事を選択するのにも参考になる内容だった」など、私にとっても嬉しくなるような感想がたくさんあった。目を通すのにも、それぞれにコメントを書くのも多少時間がかかったが、私自身この講義を引き受けたことで、これまで何をポイントに人生を歩いてきたのか、それを冷静に見つめ直すきっかけとなった。そして思ったのは人生に無駄なことはない、という実感。それはある意味、人生に折り合いをつけるのが上手くなったのか、はたまたある程度後悔することなくここまで生きてこられたのか、いずれにしても自身のアイデンティティーの発見でもあった。
チャイコフスキー:「懐かしい土地の思い出」よりメロディー
そして不安を抱えながらも未来を夢見る若者たちの将来に、少しでも役立てることができたのなら嬉しく思う。同時に彼らの瞳の中に眩しいものを感じ、幾分遠くなった20代の頃を思い出してとても懐かしくなった。
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