RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
東京ストラディヴァリウス・フェスティヴァル2018については以前このコラムでも取り上げたが、10月9日から15日まで六本木にある森アーツセンターギャラリーでいよいよそのストラディヴァリウスが日本初の珍しい型も含めて21挺展示されるエキシビジョンが開催された。
300年の時を経てなお、輝く音色を放ち続けるストラディヴァリウスを間近で見る滅多にないチャンスということで、イベントは連日たくさんの人で賑わっていた。会場ではストラディヴァリウスのルーツや、製作年を網羅した作品や道具類も展示、またイタリアから楽器職人を招いて、その製作過程も見られるなど、興味深い展示も多かったのだが、何と言っても目玉はその展示されたストラディヴァリスを実際にその場で一流の演奏家によるミニコンサート形式で聴ける、ということだった。ヴァイオリニストでは川久保賜紀、神尾真由子、三浦文彰、ピエール・アモイヤル、チェロでは宮田大、新倉瞳など、若手からベテランまで、普段なら大ホールでのコンサートのソリストとして登場するアーティスト達の演奏を展覧会の一部として聴けるのはすごいチャンスである。
神尾真由子
宮田大
私も日曜日に開館時刻と同時に会場に到着したのだが、既にミニコンサートが行われるスペースの前には限られた椅子にぽつぽつ人が座り始めていた。コンサートは12時からスタートだったので、その時点でまだ1時間半以上ある……。とりあえず空いている席に座り、時間まで大人しく待つことにしたのだが、見る間に椅子席は埋まってしまい、立ち見客も続々入って来て、展示スペースも人で溢れかえるような混雑となった。こんなにたくさんの人々がストラディヴァリウスに興味を持っているのか、と改めて驚く。待っている間はヴァイオリニストのマキシム・ヴェンゲーロフや楽器職人達がそれぞれ、ストラディヴァリウスについて語っているショートフィルムを眺めたりしていたのだが、そうこうするうちに12時になった。
司会の朝丘聡さんが登場し、展覧会の見どころや演奏者や曲を紹介。この日の演奏は1938年フランス生まれのヴァイオリニスト、ジェラール・プーレ。名ヴァイオリニストで指揮者でもあったガストン・プーレの息子として生まれ、わずか11歳でパリ国立高等音楽院に入学、2年後に首席で卒業するという天才少年で18歳の時にはパガニーニ国際コンクールで優勝するなど、フランスが誇る世界的奏者である。近年は日本でも教鞭をとるなど、指導者としても多くのヴァイオリニストを育て上げている。
ジェラール・プーレ
曲はクライスラーの「プニャーニのスタイルによる前奏曲とアレグロ」。演奏するストラディヴァリは2018年に300歳を迎える1718年製作の〈サン・ロレンツォ〉で、あの、フランス王妃マリー・アントワネットの専属ヴァイオリニストだったヴィオッティが所有していたという貴重なものだ。確かに素晴らしいに違いないとは思うのだが会場の音響を考えるとそんなには音が響かないのではないか、と私は正直なところそんなに期待していなかった。
しかし冒頭のフレーズが始まった途端にそれは杞憂になった。少し音が曇っているかな、と思ったのは一瞬で、楽器は眠りから目覚めるように、一気に芳醇な光を放ち始めた。それは演奏しているプーレが一番よく感じたのだろうと思う。どんどん自分のイメージに通りに鳴り響く音に没頭していくとともに彼の馥郁たる音楽性が重なって、「古き良き」とはこのこと、といった風情の演奏となった。
クライスラー:プニャーニのスタイルによる前奏曲とアレグロ
続いてはプーレの父であるガストンが初演した、ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ。こういった場では珍しく全楽章弾いてくれたのだが、なんと香り高い演奏だったことか! 演奏が終わった瞬間、聴いていた人々もプーレ自身も、ストラディヴァリウスの神々しい音色に興奮が止まらなかった。
そしてアンコールは楽器を変えて1711年製作の〈マルキー・ドゥ・リヴィエール〉。〈サン・ロレンツォ〉よりも7年早い時期の製作だが、ストラディヴァリウスの黄金期の楽器。音色の艶やかさ、という点においてはこちらの方が優っていたかもしれない。演奏された曲はクライスラーの「愛の悲しみ」と、ドビュッシーの「ゴリウォークのケークウォーク」。ドビュッシーの方は予定にはなかったようなのだが、プーレ自身が弾いていて本当に嬉しく、楽しかったのだろう。まさに歌い踊るように〈マルキー・ドゥ・リヴィエール〉を奏でた。
愛の悲しみ
できればチェロや他のヴァイオリンの演奏も聴いてみたかったが、その後は展示の続きを鑑賞。数々の名演奏家に奏でられ、多くの聴衆に愛され、時に骨董品として王侯貴族や時の権力者に渡り、数奇な運命を辿った楽器たち。その造形と艶やかに光り輝く色はまさに宝石のごとく。21挺のストラディヴァリウスの展示は圧巻である。
そして音色を間近で体感できた私は、300年という歴史が今に息づいているストラディヴァリウスを目の前にして、その悠久の時に思いを馳せた。
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