RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
前回のコラムで映画の話題を取り上げたばかりなのだが、続けて試写で観た映画があった。タイトルは「女王陛下のお気に入り」。ベネチア国際映画祭で銀獅子賞と女優賞のW受賞で話題の映画だ。
18世紀初頭、フランスとの戦争状態にあるイングランド。女王アンは、17人の子供に先立たれ精神的にも不安定、更に持病を抱え、もっぱら政治は女王の幼馴染であるレディ・サラが動かしていた。そこにサラの従妹である没落貴族の娘アビゲイルが召使としてやってくる。彼女の魅力にサラと女王は侍女として側に置くようになるが、権力闘争の中、アビゲイルに貴族として返り咲くチャンスが近づいてくる。そして徐々に女王と2人の力関係に変化が訪れる……。
舞台は優雅で美しい宮廷の中だが、女性のプライドと立場を賭けた壮絶な闘いは史実に基づくものだとか。そこには性的関係を含んだ寵愛の取り合い、生き残るための計算や罠が次々に展開される。面白いのはこうした駆け引きの中で男性との甘い恋愛はいっさい登場しない点で、そこがこの作品のポイントでもある。もちろん魅力的なアビゲイルに言い寄る貴族の男はいる。彼女はその恋心を利用して結婚することで己の立場を強固なものにするのだが、男を利用して駆け上がっていく様は、もはや痛快でこれまでの宮廷ドラマとは一味違う。
とは言え、18世紀という時代では圧倒的に男性の権力が優位で、貴族の娘だったアビゲイルが賭博で負けた父親のせいで娼館に売られたり、没落して召使いとして参内するも、使用人仲間に疎まれて嫌がらせを受けたり、気まぐれな女王のご機嫌をとることでしか自分の生きる道がないというところに、自分自身では運命を切り開くことがままならない、もどかしさも感じてしまう。現代は少しまともになったと思う反面、これを現代社会のビジネスシーンに置き換えても、成立しそうな話ではある。特に女性特有の、表では手を繋ぎ、裏では出し抜くことを考えている、といったきな臭いやり取りはどこかで見聞きしたようでもあり、特に女性は必見の映画かもしれない。
映画「女王陛下のお気に入り」予告編
男性と女性では脳の構造が違う、というのはよく言われることだが、歴史的にみても女性は長い間〈男尊女卑〉という観念のもとに、自分の考えを主張させてもらえなかったという背景をみても、それをあらゆる面において考慮すべきではないか、という気がしている。
このところマーラーの交響曲第10番が周りでちょっとしたブームである。マーラーは私の好きな作曲家でもあるのだが、第10番というのはスケッチのみが残されているものでマーラー自身は完成させていない。様々な作曲家や研究家が補筆完成を試みているが、最近ヨエル・ガムゾウというイスラエルの音楽家が補筆完成した版が話題となっている。
ガムゾウは1987年生まれ。14歳で高校を卒業し、10代で自身が補筆完成したマーラーの第10交響曲を演奏するために自らのオーケストラを組織したというから、筋金入りのマーラーおたくと言ってもいい。その音源が最近発売され、かなり気になっているのだが、実は私はまだ音源をちゃんと聴いたわけではない。
マーラー:交響曲第10番(ガムゾウ版)
それよりも先に私は、この第10番の成り立ちに妻のアルマ・マーラーの存在が深く関わっていることに興味があった。この第10番を作曲し始めた時、マーラーとアルマの関係は悪化していて、アルマは結婚生活においてかなり精神的なダメージを受けていた。そこに建築家のヴァルター・グロピウスとの出会いが訪れる。20も年下の妻が年若い才能溢れる男に惹かれていくのを目の当たりにし、それがマーラーに堪え難い苦痛を与えたのは言うまでもない。第10番の第5楽章のスコアにはそれを裏付ける言葉がマーラーの筆によって記されている。「君のために生き、君のために死す」という言葉。マーラーはどれほどの絶望の中でこれを記したのだろう。
アルマが回想したマーラーについての著書が残っていて、私は今それを読んでいる。実はそうした記述については事実と違うことも多く、時にアルマ自身の主観や思い込みで悲劇的に書かれている部分も多いという。だから読んでも意味がない、と言われたりもした。しかしそれはとても男性的な考え方で私には理解しがたい。私は多くの芸術家を虜にし、その愛情を集めたアルマという女性に、とりわけマーラーとの関係においてどんな感情を持っていたのか、どんな想いを秘めていたのか、そういったことが知りたいのだ。
事実だけを重要視するのは後世の研究者にとっては都合がいいのかもしれない。しかしそこに書かれている文章の中にはアルマにとっての事実があるはずだ。それは時代によって抑圧されてきた女性の立場からくるものも当然あるだろう。それらも含めたアルマの言葉に、彼女を愛したマーラーの苦悩と絶望が鏡のように映し出されるのではないか。そしてそれを読むことで第10番の音楽の中に深く分け入ることができるのではないか、と思うのである。
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