RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)
ベルナルト・ハイティンクが指揮活動の引退を表明した。
平成から令和になり、時代を振り返る中で感じたのが指揮者という存在そのものの意味が様変わりしてきた、ということである。カラヤンやバーンスタインが亡くなり、圧倒的な存在感の巨匠指揮者の時代は終わった。その後にはアバドやアーノンクールなどユースオーケストラやピリオドオーケストラなどに力を注いだ個性派の指揮者も注目されたが、そうしたある種の革新的なスタイルを打ち出すわけではなく、オーソドックスに音楽そのものの純度を高めようとするタイプの指揮者もいる。ハイティンクはそうした指揮者の一人であり、世界の数々の一流オーケストラで仕事をしてきた人であるけれども、あくのない自然な音楽作りで作品の持ち味を聴かせるタイプだっただけに、圧倒的な人気というよりは着実に信頼を獲得してきた音楽家である。だがその演奏スタイルは日本の音楽ファンにはやや物足りない、と受け取られることも多かったようだ。
私が山野楽器に在籍していた頃はメジャーレーベルからもまだ続々と新譜が発売されていた。当時PHILIPSレーベルからロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団とのたくさんの録音が発売されていたハイティンクと言えばなんといってもブルックナー、という印象が強い。しかしタイトル数は多かったがやはりカラヤンとかクライバーとかの圧倒的人気のカリスマに比べると爆発的に売れていたという記憶はあまりない。私自身、まだ当時はブルックナーの良さなんてちっとも理解できなくて、実は来日していたハイティンクが売り場に立ち寄ったことがあったのだが、サインを求めていた同僚の横で全くありがたみを感じていなかったというのが本当のところだ。今になって遅まきながらブルックナーの交響曲の持つ、壮大で宇宙的な魅力に開眼するようになると、ハイティンクの無理のない自然な指揮がいかに音楽をありのままに伝えてくれるか、ということを思い知るのである。よく考えてみると20年以上前から彼のこの芸風は変わっていない。己のスタイルを貫き通す姿勢もまた、時を経た今だからこそ価値がわかる。
ベルナルト・ハイティンク
ハイティンクと同年代といえば、ヘルベルト・ブロムシュテットも90代、こちらはまだバリバリの現役。彼とシュターツカペレ・ドレスデンによる1970年代録音のベートーヴェンの交響曲全集を最近聴いたのだが、颯爽とした演奏は今聴いても新鮮でこちらも芸風が変わっていないのに驚いた。
ヘルベルト・ブロムシュテット
余談だが昔は大物アーティストといえば帝国ホテルに宿泊することが多かった。まだ大手外資系のホテルやレコードショップも界隈にはあまりなかったので、彼らはよく銀座に本店がある山野楽器に顔を見せた。事前情報が入ると売り場にそのアーティストのコーナーを瞬時に設けたりしていたものだ。メトロポリタン歌劇場の音楽監督だったジェームズ・レヴァイン。巨体を揺らしながら入ってきた様子を今でも思い出すことができる。当時大人気だったソプラノ歌手、キャスリーン・バトルが表紙を飾ったグラモフォン誌を見て「おー、キャシー」と親しげに言っていたのもよく覚えている。彼も現在は健康上の理由や諸々の問題で残念ながら引退状態である。
さてつい最近、まさに現代を代表する日本人指揮者、大野和士さんのインタビュー収録に立ち会った。夏に行われるサントリーサマーフェスティヴァルはサントリーホールなどを持つサントリー芸術財団が主催する音楽祭で、現代音楽の祭典として30年以上続いており、ファンの間では知られているが、大野和士さんは今年プロデューサーとして現代オペラの名作ベンジャミンの「リトゥン・オン・スキン」を自ら指揮をする。今年2019年は財団50周年という記念年でもあり、その紹介を含めてサントリー学芸賞も受賞している音楽評論家の片山杜秀さんがインタビュアーを務めてくださった。新国立劇場のオペラ芸術監督でもあり、東京都交響楽団とバルセロナ交響楽団の音楽監督でもある大野さんと、慶應大学の教授でもある片山さんという多忙を極めるお二人に貴重な1時間をいただき、サントリーホールの楽屋でのインタビューは大野さんの実に熱い思いのこもったお話を伺うことができた。
詳しくはミュージックバードの番組「ウィークエンドスペシャル」で8月に放送予定なのでお楽しみに、というところなのだが、身振り手振りを交えてベンジャミンのオペラを語る大野さんの様子はまるで指揮をするようで、音楽を言葉で語るというのはまた違う能力かと思いきや、その語り口はご自身の紡ぐ音楽を彷彿とさせた。大野さんは圧倒的なインテリジェンスをもって、人間の本能、男女の情念、肉体と精神、刹那と永遠、それらを音楽という糸でつなぎ合わせた作品を好んでいるような気がする。お話とともに「紫苑物語」や「グレの歌」などで実際の舞台や演奏に接した私の印象である。
大野和士
指揮者の世代交代とともに時代の音楽もまた様変わりしていく。
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