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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

あいちトリエンナーレ2019

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)

8月の最終週に突如思い立って名古屋に行った。夏休みと言うには慌ただしい感じだが気分転換の必要性もあったのと、何かと話題になっている「あいちトリエンナーレ」を以前からずっと観たかったので、なんとか一泊旅行のスケジュールを組んだ。

名古屋に行くのは10年振りくらいだ。関西方面には行くものの、いつも通過地点なので実に久しぶりに名古屋駅に降り立った。東京からは新幹線で1時間半。あっという間である。昼過ぎに到着したところで今回は名古屋グルメも楽しもうと思っていたので、まずは味噌カツ。柔らかいお肉にこってりした味噌ダレは美味しかったのだが、いきなりお腹いっぱいになってしまった。日頃は1日2食くらいで済ませているので、お昼からこんなに食べてしまっては夕食を食べきれるのか? 夜は張り切って鰻懐石料理を予約していたので、ちょっと心配になる。

腹ごなしも兼ねて早速トリエンナーレを観に行くことにする。ホテルに荷物を預けて途中プレイガイドで一日フリーパスを購入。1600円とは一本映画を観るよりも安いではないか。その日は伏見辺りでお祭りをやっていたらしく、地下鉄が東京並みの混雑状態だった。ようやく地上に出てまずは愛知芸術文化センターへ。

クラシック音楽関係者ならここにコンサートホールがあるのはよくご存知だろう。東海地方を代表する名古屋フィルハーモニー交響楽団の本拠地でもある。「あいちトリエンナーレ」はここと名古屋市美術館の他、豊田市美術館や名古屋市の街中にも作品が展示されている。今回私は主にここ愛知芸術文化センターと近くの名古屋市美術館を観ることにした。

icon-youtube-play 名古屋フィルハーモニー交響楽団

会場を少し進むと一瞬本物かと見紛うピエロの人形が何体も座り込んでいた。『孤独のボキャブラリー』という作品で、皆うつむき加減に頬杖をついたり、眠っているように見えるが今にも動き出しそうにリアルである。ピエロの化粧や衣装というのはそれだけで人形っぽいだけに、戯けた動きや陽気な笑顔を浮かべていない彼らは逆に人間臭い。

定員入替制で整理券を配っているインスタレーションがあったので番号を受け取り、その間他の展示を観る。『抽象・家族』と題されたスペースでは映像、抽象絵画、ダイニング・セットなどが展示されていた。その中で海外にルーツを持ちながら日本で生活するいわゆるハーフやクォーターと呼ばれる人たちが対話する映像が流れていた。混血ということで疎外感を感じたり、子供の頃いじめられたりした経験も多い彼らのアイデンティティーはとてもデリケートだ。その中でいくつかの質問が投げかけられ、それに彼ら自身が答えていくのだが、こんな質問があった。

「あなたのことを深く傷付けた人はいますか? またあなたはその人を赦すことができますか?」

キリスト教の教義にも通じるようなこの質問。今回のトリエンナーレを廻る様々な問題にも決して無関係ではなく、個人的にも深く突き刺さるものだった。

また作家がニューヨークの街中で拾った髪の毛やタバコの吸い殻などから DNAを採取して、そこからその人間の顔を3Dで作り出す、というちょっとSF小説のような作品『Stranger Visions』も衝撃的だった。見知らぬ外国人の顔のマスクを見て、現代の科学は倫理の壁を超えてしまえば生体情報がいくらでも簡単に悪用できてしまうということを思い知る。

社会に対して一石を投じる作品が多い中、ポップで楽しいインスタレーションもあった。それが整理券を配っていた伊藤ガビンの作品『没入感とアート、あるいはプロジェクションマッピングへの異常な愛情』である。一見複雑な内容に思われるこのタイトルが作品を忠実に表現している。プロジェクションマッピングを面白おかしく映像と音声で体験するのだが、あくまで観客に〈雑誌〉という形で表現するという前提なので、そのデフォルメされた〈雑誌〉が立体となって現れるという、どこか捻れた設定がアイディアものである。

丸一日鑑賞してきたわけだが期待以上に素晴らしく、本来ならばもっと多くの作品が展示されるはずであった。それだけに一部の展示の中止と、それに抗議する作家たちが自ら作品を辞退したことは本当に残念でならない。もちろん作家たちの考えは尊重されるべきだが、芸術は多くの人の目に触れ、体験し、それぞれが感じることにこそ意味がある。今回は結果的にそれを奪う形になってしまった。行政側の無理解な発言は文化・芸術に対する意識の低さでもある。しかし何よりも許しがたいのは暴力によってそれを阻止しようとする考えだ。音楽も過去に政治的圧力を受けた歴史があった。ナチスドイツによる「退廃芸術」などもそうだが〈表現の自由〉という根本的な理念を崩壊させてしまうことがどんなに重大なことか私たちはもう一度考えるべきだろう。そしてこれに異を唱えるならば、是非作品を体験するべきだと思った。

icon-youtube-play あいちトリエンナーレ2019

「あいちトリエンナーレ」は10月14日まで開催している。

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