RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
私はラジオという音声メディアで重要なのは〈言葉〉によって全てを伝えていかなくてはならない、という点だと思っている。もともとラジオにものすごい思い入れがあってこの仕事を始めたわけではないのだが、これはディレクターとして仕事をしていく中で学んだ一番大きなポイントでもある。現代はネットでも絵文字を使うなど、映像や画像を使った表現が主流であり、SNSでもInstagramが若者を中心に圧倒的に人気を集め、You Tubeで最新の音楽を知るという人も多い。
そんな中で音声のみ、すなわち〈言葉〉と〈音楽〉で表現するメディアであるラジオはシンプルなだけに難しく、そこにはある種の知性も必要となってくる。言葉を自在に操るには一定のボキャブラリーも必要だし、文脈を組み立てるためには論法、はたまた音として聴いたときに人に心地良く届くためには抑揚やリズムも重要になってくる。番組でもたくさんのゲストを迎えているが、それらの要素をバランスよく駆使できる人は編集なしでも充分に濃い内容になることが多い。
戦後日本を代表する天才作家、三島由紀夫もそんな〈言葉〉を自在に駆使し、〈言葉〉によって日本を変えようとした人物なのではないだろうか。彼が1969年東大の全共闘と討論を交わした時の映像がTBSに残されており、これを映画化したものが公開になる。タイトルは「三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実」。三島由紀夫がある日電話で討論会に招かれる。それは東京大学の全学共闘会議、通称東大全共闘からの申し出だった。
50年前の日本は学生運動のピークで、大学生たちがバリケードを築いてストライキをし、武力行使も辞さない激しさを増していた。当時の東大全共闘はその急先鋒ともいえる存在で、同じ年の初めには安田講堂事件があり警察と衝突している。民兵で組織した軍隊的な「楯の会」を結成した三島由紀夫とは180度思想が違っていたことは言うに及ばない。討論会場である東大教養学部900番教室には約1千人の学生が詰め掛け、彼を論破して切腹させる、と息巻いており、三島自身も何かあれば自刀する覚悟だったと言われている。警視庁からも私服刑事が張り込み、楯の会のメンバーも護衛のため、前列に座っていたという。完全に敵陣に乗り込む形での討論会は危険で魅惑的で、その後「伝説の討論会」として語り継がれることになる。
映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」予告編
討論は「自我と肉体」「他者の存在」「自然と人間」「持続と関係づけの論理」など多岐に渡ったが、中でも東大随一の論客として知られた芥正彦との論戦は息をつかせぬものがあった。その内容について逐一ここに書いている余裕はないのだが、私が一番驚いたのは三島由紀夫のほとんど誠実と言ってもいいほど学生達と対等に話をしていたその様子である。幾多のメディアも取材している中で、学生達は三島を「近代ゴリラ」と揶揄するなど興奮状態だった。しかしこの時代の学生の社会や文化における教養の深さはやはり飛び抜けていて、彼らも激論を闘わせる中で三島の真摯な態度に徐々に心を動かされている様子が伺えた。言葉を使って1千人の学生を説得しようとした三島の心意気に感動さえ覚える。
両者が互いに心を通わせた瞬間、そこにはまさに〈言葉の持つ力〉が存在していた。その力強さに鳥肌が立った。しかし三島はその1年後、市ヶ谷の自衛隊で決起を呼びかけ、割腹自殺をする。
その三島由紀夫と私の出会いは中学生の頃。ある時、国語の模擬試験があってその中に文章問題の例題として三島の「サーカス」という短編が出てきた。それを読んだところ問題そっちのけでこの小説の世界に陶酔してしまった記憶がある。それぐらい衝撃的に美しい短編だった。それ以降三島の小説を片っ端から読み始めたのだが、その華麗で時に生々しいほどの息遣いや色彩感のある文章は他では味わえない。それは圧倒的な美しさで私の中に爪痕を残した。
言葉を持って日本を変えようとした三島だったが、身体を鍛え上げ、写真雑誌でその肉体を誇示したり、また演劇や映画などにも深い関わりを持ち、視覚的な表現にも無関心ではなかった。しかしこの映画の中の三島は言葉を信じ、その言葉の重みで自らと他者の関係を築こうとした。映画のタイトルにもある「50年目の真実」、その記録として貴重な映画だということだけはここに是非書いておきたかった。
音楽の話から逸れてしまったが、三島由紀夫の代表作「金閣寺」を原作にしたオペラがあるのをご存知だろうか。戦後のクラシック音楽界を代表する作曲家の黛敏郎が作曲を手掛けている。これはベルリン・ドイツ・オペラの委嘱作品で台本はなんとドイツ語。日本でも舞台上演の機会はあまりないが、昨年は東京二期会が宮本亜門演出で上演している。成り立ちが証明するように三島文学は海外でも非常に評価が高い。
黛敏郎:オペラ「金閣寺
三島の中の消化し切れない戦争の亡霊や絶対的な存在=神でもある天皇が〈金閣寺〉という美の化身となっていると考えると、その主題は現代の日本でも、ひいては世界に於いても様々に変容していくのではないだろうか。
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