RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
目下私の一推しのアイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソンがこのコロナ禍に来日するという情報を耳にした。しかも共演は、これまた生でその演奏を聴いて以来すっかりファンとなってしまったヴァイオリニストの庄司紗矢香となれば、どんなに年末の繁忙期だろうと聴きに行かねばなるまい。
ちょっと気になったのは東京公演の会場はサントリーホールの大ホールだということ。以前に内田光子のシューベルトのソナタを大ホールで聴いて、音楽とホールの適正な音量バランスの難しさを痛感してしまったので、できれば紀尾井ホールあたりでやってくれれば……などと思うのだが、採算を考えるとそういう訳にもいかないというのは理解できる。しかもこの御時世である。当然来日中止となる可能性も高く、チケットの手配をもたもたしていたら2階席と重なる1階席後方になってしまった。当日は朝からスタジオでリッピング作業と収録4本というハードスケジュールをこなし、なんとか仕事を終わらせてサントリーホールへ。新型コロナウィルス感染対策としてまず個人情報をカードに記入。入口にはそれとチケットを持って入場するための長蛇の列ができていた。座席は感覚を空けることなく配置しているが、さほど空席はない。近年オラフソンは玄人筋の間から徐々に人気が高まっており、注目の公演となっているのだろう。実際プロの演奏家の顔も何人か見かけた。
ヴィキングル・オラフソン
やがてステージに二人が登場。どうやら庄司紗矢香は足を痛めているらしく、椅子が用意されていた。プログラム始めはオラフソンお得意のバッハでヴァイオリンソナタ第5番。冒頭の数小節で彼特有の、まるでキュビズムの絵画のような立体感のある音が鳴る。それにそっと寄り添うような庄司紗矢香のヴァイオリンも好ましい。
続いては打って変わって激しい真剣勝負のバルトークのヴァイオリンソナタ第1番。ここでは鋭いリズム感覚の持ち主である庄司紗矢香がリードするように曲を引っ張っていくが、オラフソンも負けてはいない。繰り出されるパッセージの応酬は丁々発止でスリリングなラストを迎え、前半のプログラムが終わる。私はこのバルトークですっかり二人の共演に夢中になっていた。後半への期待感が止まらず、休憩時間が長く感じられたほどだった。
思った以上に1階席後方は音の細部までが届くのも驚きだった。デュオなど小編成はかえって2階席よりも鮮明に聴こえるかもしれない。またオラフソンも庄司紗矢香もよく響く音色の持ち主だし、彼女の持つヴァイオリンがストラディヴァリウスというのも理由のひとつなのだろうか。
庄司紗矢香
休憩後はプロコフィエフから。「5つのメロディ」ではややアンニュイな雰囲気も素敵だった。そして最後にはブラームスの2番のソナタ。前半の男前な庄司紗矢香のパッションは、ここではオラフソンのロマンティックなピアノにも乗せられて実に叙情的な音を奏でる。朗々と歌われるそれはなんと心揺さぶられる音楽だったことか!
座って演奏していた庄司紗矢香だったが、通常のデュオのようにピアニストの目線の先にはおらず、手前のやや舞台袖に近い位置にいた。当然アイコンタクトではなく、呼吸で合わせていたようだ。しかしそれが実に自然で、オラフソンとの相性の良さを感じさせた。
アンコールには本編の白眉だったと言えるバルトークの作品からお馴染みの「ルーマニア民俗舞曲」。そしてパラディスのシチリアーノ。客席の拍手に応える庄司紗矢香が珍しくにこやかな笑顔だったのが、今日の演奏の出来栄えを物語っていた。何しろ仏頂面で有名な彼女。演奏は没入タイプなのに挨拶も素っ気ないことが多いからである。そんなツンデレの庄司紗矢香と共演するために、オラフソンはアメリカでの協奏曲の仕事をキャンセルしたという。共演者を選ぶ耳を持っているというのは演奏者としての資質の一つであろう。一見意外にも思えたこの二人はお互いを音楽的パートナーとして全幅の信頼を置いているようである。
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
この1年は新型コロナという思いがけないものが人々の生活を一変させた。ソーシャルディスタンスという人間関係を根本から変えざるを得ない習慣を強制され、私達はそれを受け入れた。しかしそれはやはり心の距離に比例する。むしろ人との繋がりを渇望するものになってはいないだろうか。求めながらなお、我慢を強いられているのではないだろうか。
サントリーホールを出ると外の空気は冷たいながらも頬に心地良かった。冬の街はコロナ禍で昨年よりは明らかに人気が少なく、そのせいか静かな光に彩られていた。私はこの夜のリサイタルで、音楽が結びつけた魂の繋がりを深く感じることができたような気がして、それはまたとない今年のクリスマスプレゼントになった。
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