

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
先日、友人のピアニスト、島田彩乃さんのリサイタルを聴きに東京文化会館まで出掛けた。意外なことに島田さんが東京文化会館小ホールでコンサートを行うのはこれが初めてのことだという。日本ショパン協会の主催コンサートはショパンのピアノソナタ第2、3番をメインに休憩の前後に置き、ソナタの前にドビュッシーの前奏曲をオードブルとして2曲ずつ、という凝ったプログラムだ。なかなかありそうでない。しかも弾きこなすのも大変なラインナップである。ショパンといえばポーランドの国民的作曲家であり、祖国の舞曲マズルカやポロネーズを作曲していることでも知られるが、その活動の中心はフランスのパリだった。そんな背景も含め、土地と時代の関係性を感じさせる、またフランスで研鑽を積んだ彼女らしい選曲でもあった。

島田彩乃ピアノリサイタル
私自身もピアノをやっていたので、ショパンという作曲家には特別な思いがある。一方で一般の音楽愛好家にも人気の彼のピアノ曲は様々な場面でBGMのように使われることも少なくない。某胃腸薬のCMで使われた前奏曲はすっかりそのイメージが定着してしまった。
ショパン:前奏曲第7番イ長調
少し前に「エオリアン・ハープ」「子犬のワルツ」「ノクターン」「華麗なる大円舞曲」…など、全編に渡ってショパンの名曲に彩られた映画「リアル・ペイン〜心の旅〜」の試写を観た。
久しぶりに顔を合わせたベンジーとデヴィッドは従兄弟同士。二人の亡き祖母はポーランドの出身で彼らはそのルーツを巡るツアーに参加する。その最終目的地はナチスドイツが作った強制収容所「マイダネク」。空港での再会から二人の間には微妙に感覚のズレがある。IT関連の仕事を持ち、結婚して妻子もいる常識派のデヴィッド。一方で感情の起伏が激しく、協調性に欠けるベンジー。当然道中デヴィッドはベンジーに振り回される。そのことが彼の中で少しずつストレスを増幅させていく。しかし他のツアー客もそれぞれに不幸な過去を持ち、お互いの境遇を語り合う中で、彼らはデヴィッドよりも正直で感情的なベンジーに共感を寄せるのだ。ホロコーストの悲劇やルワンダ虐殺など、暗い歴史を辿りながら、自由気儘なベンジーと、それをなだめるのに奔走するデヴィッドの様子はあくまでコミカル。そこに流れるショパンの「名曲」が始めは少々そぐわない気がした。
しかし、この映画のタイトルにある「リアル・ペイン」とは何なのか。物語が進む中で朧げにその意味がはっきりしてきた。殊更に戦争の悲劇を強調するわけでもなく、ショパンの美しい音楽はただただ人物たちの心の襞をなぞり、寄り添うように響いてくる。私のような人間は「ショパン」という作曲家をある意味知り過ぎていて、そこに特別な意味をこじつけがちだ。しかし映画の中ではダイレクトな歌詞を乗せた現代のポップな音楽よりも、適度な距離感を保っていて、ソフトに、けれど印象深く耳に馴染む。人間同士の些細なすれ違いや感情のもつれから起こる数々の傷を映し出すような作用が、ショパンの音楽に宿っているのではないかと感じた。
監督はデヴィッドを演じたジェシー・アイゼンバーグ。大人子どものようなベンジーをキーラン・カルキンが演じる。カルキン兄弟といえば映画「ホーム・アローン」のマコーレー・カルキンをついつい思い出してしまうのだが、弟のキーランも着実にキャリアを築いており、俳優として見事な存在感を放っていた。この作品はあのエマ・ストーンがプロデューサーとして名を連ねているのも注目である。しみじみと味わい深いロードムービーだった。映画は1月31日から劇場公開。
映画「リアル・ペイン〜心の旅〜」より
さて、島田さんのショパンはそんな映画の中の「名曲」よりも、更に主張の強い内容を持つピアノ・ソナタだっただけに、一緒に行った友人の言葉を借りるならばやや「マッチョ」な印象(笑)。しなやかでエモーショナルなショパンは、より雄弁な演奏で、ドビュッシーの軽やかな前奏曲の後に配置されたので、一層ロマンティックに聴こえたのかもしれない。普段室内楽の活動が多い彼女の印象とは少し違っていて、いい意味で好対照でもあった。
そしてアンコール。大曲のソナタの後には後味の爽やかなデザートのようなドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、そしてテンポの良い可愛らしいショパンの小品「タランテラ」。彼女が若い頃からよく弾いていた曲だという。これも見事な対比をなしていて、最後はしっとりとしたワルツで締められる絶妙のプログラム。この日は島田さんの抜群の選曲センスに魅了された。加えてこんな魅力的な演奏を聴かせてくれた彼女にはこれからもっとショパンをリクエストしたいと思う。
それぞれ違った横顔を垣間見つつ、映画とコンサート両方で堪能したショパンの音楽。私はますますその奥深さに感じ入ったのだった。
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