RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
新年が始まった。私の今年の目標は1日1万歩歩くことである。
二子玉川公園からの夕陽
数年前から仕事柄肩こりが酷くなり、整形外科のお世話になることが多くなった。病院のリハビリも同時に通わないといけないので、続けていた筋トレは一時休止することに。そうこうするうちにコロナ禍、ますますトレーニングに行きにくくなっていたところ、肩や首、膝など次々と違う部位に痛みが襲うようになってしまった。体を動かさないことが原因だとすれば悪循環なのだが、気が付けば運動する機会がなくなっていた。
時の流れは恐ろしく早い。会食も増え、あっという間に体重は5キロをオーバー。その間に橋本病という甲状腺ホルモンの持病も発覚、これは新陳代謝が悪くなる病気なので少し関係があるのかもしれない。健康診断では高コレステロールと中性脂肪まで指摘されてしまった。筋トレを再開することも考えたのだが、以前のようにストイックな食生活に戻るのはもはやモチベーションが下がっていた。しかし健康は維持しないと仕事もままならないというジレンマ。
そこで始めたのが1日1万歩生活である。もともと歩くのは嫌いじゃないのだが、コロナ以前は10センチヒールが日常だった私。仕事も忙しかったので、さすがに毎日1万歩歩くのは厳しかった。それでも普段自宅から仕事場、夜コンサートに出掛けて帰ってくると7、8千歩は歩いていることが多い。1万歩は目前ではないか。
しかしもうあと2、3千歩というのは意外と意識しないと難しいもので、コンサートがない日はもちろん歩数も減る。そこでバスを使わずに駅まで歩くことに。これで往復30分=5千歩くらいか。スタジオがある半蔵門のひとつ手前の永田町から行き帰り歩くと往復20分強=4千歩でなんとか1万歩が射程距離に。年末から毎日少しずつ歩数を増やしていたら毎日1万歩を歩くのが日常になってきた。30分以上続けて歩くことも苦ではなくなった。ルートもGoogle Mapで違うパターンを日々試していると、ご近所なのに知らなかったいろいろな景色が楽しめる。家にじっとしているとどうしても鬱な気分になりがちだが、近くの公園に寄り道してみたり、夕陽を眺めてみたり、前から気になっていたカフェに立ち寄ってコーヒーとスイーツを買ってみたり(ダイエット的観点からは真逆だが…)、すっかりスニーカー派となり、1万歩生活がなんだか楽しくなってきたところである。
散歩するベートーヴェン
さて、クラシック音楽史上では散歩を日課にしながら作曲をしていた人が多い。なかでもベートーヴェンやブラームス、マーラーといった作曲家は散歩から様々なインスピレーションを受けていたようである。特にベートーヴェンは紙と鉛筆を持ち、日々散歩しながら、思い浮かんだ楽想を書き留めていたとか。そんな肖像画も残されているので見た覚えのある人もいるに違いない。ウィーンのハイリゲンシュタットは彼の散歩コースとして有名だ。現在では「ベートーヴェンの散歩道」と名付けられた小川のほとりはご存じ交響曲第6番「田園」の第2楽章にも登場する風景である。
交響曲第6番「田園」第2楽章より
ブラームスもまたよく散歩を楽しんだ人である。生涯独身だった彼は気ままに夏を避暑地で過ごしていたらしいが、特にオーストリア南部ヴェルター湖畔はお気に入りだったようである。普段ウィーンという都会で疲れた心身を自然の中でリフレッシュし、数々の傑作を生み出している。なるほどここで作曲された交響曲第2番やヴァイオリン協奏曲、そしてヴァイオリンソナタ第1番などは彼の渋い作風の中でもリラックスした雰囲気に満ちているのがわかる。
ヴァイオリン協奏曲ニ長調より
マーラーもやはりこのヴェルター湖畔の避暑地に作曲小屋を持っていた。彼も小屋の周辺を日々散歩していたのだろう。長大な交響曲のほとんどはここで書かれたものだ。
交響曲第4番より
ウォーキングは下半身の筋力を強化し血流を上げ、幸せホルモンであるセロトニンを分泌させる。これが精神を安定させ、深い睡眠をもたらすことで脳の活性化につながるというから作曲家の創作意欲もここから湧いてきたと思われる。
私はウォーキング中に音楽や、自分の番組の検聴(聴いて確認すること)も兼ねてラジオを聴いている。片道30〜40分くらいはクラシック音楽のメジャーな協奏曲がぴったりで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とか、ラフマニノフのピアノ協奏曲とかは大抵このくらいの時間なのである。時間軸で考えるのは年末のカウントダウンのコンサートのようで邪道、という見方もあるのだが、最近では大体歩く距離と時間を想定して聴く音楽を選ぶ。最後のフィナーレを迎えた瞬間に玄関に到着すると、ナレーションとテーマ音楽がぴったりと合って番組が終わった時のような達成感がある。
…というわけで、もやもやした終わり方をする交響曲などより、すっきり感のある協奏曲がウォーキングには相応しい。もちろんラジオを楽しむにも最適な時間なのでお気に入り番組を探してみては。作曲家たちへ思いを馳せつつ、美容と健康のためにもしばらく1万歩生活は続きそうである。
清水葉子の最近のコラム
新年の音楽散歩
新年が始まった。私の今年の目標は1日1万歩歩くことである。 二子玉川公園からの夕陽 数年前から仕事柄肩こりが酷くなり、整形外科のお世話になることが多くなった。病院のリハビリも同時に通わないといけないので、続けていた筋トレ…
師走のコンサート〜女性ヴァイオリニスト三者三様
12月はコンサート三昧だった。…といっても、番組制作仕事の年末進行の合間を縫ってのこと。あちこちの会場をハシゴする人も多かったことだろう。それぞれに素晴らしく、感想もひとつひとつ書きたいところだが、年末も押し迫ってきたと…
ラトルの『夜の歌』〜バイエルン放送交響楽団来日公演
ラジオ番組の制作の仕事を始めてから早25年。制作会社員時代、フリーランス時代を経て、3年前からはまがりなりにも法人として仕事を続けている。その会社名に拝借したのがイギリス人指揮者のサイモン・ラトル。「Rattle」とはお…
SETAGAYAハート・ステーション
私は現在、エフエム世田谷で障害を持つ方にフィーチャーした番組「SETAGAYAハート・ステーション」を担当している。 30年前の阪神淡路大震災をきっかけに注目を集め、以降、日本各地でたくさんのコミュニティFM局が誕生して…
アントネッロの『ミサ曲ロ短調』
バッハの声楽曲でマタイ、ヨハネという二つの受難曲に匹敵する宗教的作品といえばミサ曲ロ短調である。 これまでの番組制作の中でも数々の名盤を紹介してきたが、私のお気に入りはニコラウス・アーノンクールの1986年の演奏。いわゆ…