RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
オリンピックは鎮痛剤だと誰かが言っていた。それが終われば容赦ない現実が待ち受けている、と。
私の現実はもちろん日々の仕事を粛々と片付けることだが、番組ごとに大小含めて様々な問題が日常的に起こる。よくもまぁこれだけパターンがあるな、というくらいだが、それぞれ対処していかなければならない。そのためにスケジュールを変更したり、急遽打ち合わせをしたり、確認作業を増やしたり、と通常業務以外にやることがどんどん増えていく。その合間を縫って優先的にやらなければいけないのがワクチン接種である。私が住んでいる世田谷区から接種券が届いたのは7月中だったが、諸事情もあって1回目の予約が取れたのが8月12日。お盆の時期でもあり、月末は毎日のようにレギュラー収録が続くので、体調を考えるとなかなか良いタイミングだ。
その前には楽しみにしていた東京文化会館でのワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の公演があったのだが、関係者にコロナ感染者が出たことで2日間とも中止になってしまった。これは「オペラ夏の祭典2019-2020Japan↔︎Tokyo↔︎World」として総合プロデューサーでもある大野和士が実現に向けた肝煎りの企画。大掛かりなプロジェクトだっただけに関係者の落胆は計り知れない。同じ演目が共同制作を行う新国立劇場でも行われる予定なので、この秋の実現を祈るばかりである。
オペラ夏の祭典2019-2020Japan↔︎Tokyo↔︎World
もう一つ、すみだトリフォニーホールでは、先のオリンピック開会式でも登場して話題となったジャズ・ピアニストの上原ひろみと、新日本フィルハーモニー交響楽団とのシンフォニック・ジャズ・コンサートがあり、こちらは無事聴きに行くことができた。これも緊急事態宣言のため、5月に予定されていたのだが、延期となって今回実現したものである。すみだトリフォニーホールはここを拠点とする新日本フィルハーモニー交響楽団とジャンルを超えた企画を多く組んでいる。それが好評のようで、この日もチケットは完売。上原ひろみファンや地元ファンまで沢山の人が会場に集まっていた。前半のプログラムはバーンスタインの「キャンディード」序曲や「ウエスト・サイド・ストーリー」からのシンフォニック・ダンスなどお馴染みの名曲。後半は上原ひろみによるピアノ協奏曲的な作品がメインとなっていた。
コロナ禍で海外の指揮者がなかなか来日できない事情もあり、このところ大忙しの日本人指揮者。この日は沼尻竜典さんが指揮を務めた。ジャズ的なプログラムを振るのは比較的珍しいのではないだろうか。余談だが沼尻さんにはミュージックバードでレギュラー番組を担当していただいたことがあり、その声とトークが見事にラジオにフィットし、一時期、タイムテーブルを大いに盛り上げてくれた。とてもユーモラスで豊かな才能の持ち主でもある。
指揮者:沼尻竜典
冒頭から賑やかに弾ける音。途中「ウエスト・サイド・ストーリー」のシンフォニック・ダンスの中でも人気曲の「マンボ」。ちょっと大人しいような……あれっと思ったのだが、あの掛け声がないせいだった。感染状況を考えて発声するのは控えたようだ。
しかし後半は上原ひろみワールド全開という感じで、彼女の自由闊達なピアノが縦横無尽に鍵盤の上を駆け巡る。あれだけパワフルに音数を鳴らすにも関わらず、それは本当に自然な動きで、まるで呼吸をするようかのように彼女の身体の動きの一部となっていた。あれこれと緊張することが多い日々だった私も、一気にその自然なピアノに肩の力が抜けた気がした。彼女の赤いドレスと、オーケストラが退場してからのアンコールでは一転して静かなナンバー、ビートルズの「ブラックバード」が素敵だった。最後にはコンマスの西江辰郎さんと第2ヴァイオリンの首席、ビルマン聡平さんとのトリオで再び賑やかに。この3人は近くアルバムを発表する予定だそうで、これも楽しみである。
ピアニスト:上原ひろみ
さて、ワクチン接種に備えてその後の数日間、私はスタジオ作業が続いた。前日には22時近くまでかかってようやく番組を納品。そのおかげで2日間は何とか在宅でゆっくり過ごせそうだった。接種会場は自宅からバスで10分程の所にある。当日は曇り空だったせいか気温も落ち着いていて、窓の外に多摩川の土手が広がり、草の緑が風にそよいで涼しげに形を変えていくのを眺めながらバスに揺られていく。そして無事に1回目の接種が終了。直後の15分の待機時間には、イヤフォンで聴くデイヴィッド・ラング。女性ヴォーカルが耳に心地良い。日常のあらゆるシーンでそれにふさわしい音楽を選んでしまうのは職業柄でもある。
デイヴィッド・ラング:Just
今のところ、自宅に戻ってこれを書いている間もワクチンの副反応は特に現れない。明後日には一件収録を控えているが大丈夫そうだ。今回は思い掛けずラジオディレクターにとっての珍しいお盆休みとなった。
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