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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

セイジ・オザワ松本フェスティバル2021

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

2回のコロナワクチンの接種を終えた。思ったより副反応が軽かったので、私はリハビリがてら日曜日の午後スタジオに向かうことにした。

その日はOMFのライヴ配信が15時から予定されていた。桐朋学園の名教師として知られる齋藤秀雄の名を冠して、その弟子である世界的指揮者、小澤征爾が創立した長野県松本市で行われる夏の音楽祭、それがセイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)である。以前はサイトウ・キネン・フェスティバルという名称で親しまれていたもので、音楽祭自体は1992年から続いている。

icon-youtube-play セイジ・オザワ松本フェスティバル2016

もともとは、やはり齋藤の弟子である指揮者の秋山和慶と小澤征爾二人の呼びかけにより始まった桐朋学園門下生たちの集団、それがサイトウ・キネン・オーケストラだ。名門校だけに国内外のオーケストラの首席クラスや、ソリストとしても活躍する彼らは、既に1980年代からヨーロッパなどで演奏旅行を行い、現地で絶賛を博していた。齋藤メソッドを受け継ぐ演奏家を軸に、メンバーは時に入れ替わったり、現在では必ずしも桐朋出身者だけとは限らず、優れた演奏家がこの期間松本に集まり、贅沢なオーケストラを結成する。今年は東京都交響楽団のコンサートマスター矢部達哉さん、新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター豊嶋泰嗣さん、NHK交響楽団首席チェロ奏者の辻本玲さんなどが顔を揃えていた。

icon-youtube-play サイトウ・キネン・オーケストラ

このサイトウ・キネン・オーケストラの演奏をメインに、例年世界中から著名な音楽家が集い、総監督の小澤征爾肝入りのオペラやコンサートなどが華やかに開催される。教育プログラムも充実しており、若手育成だけでなく、子どもたちが一流の音楽に触れることのできる貴重な機会でもあり、地方都市でありながら、この松本市でクラシック音楽シーン最大のイベントが行われるのである。当然毎年ライヴ音源は録音や映像でも発売され、話題の新譜となる。

しかしながらやはり新型コロナの問題はここでも影響を与えた。昨年に引き続き、今年も中止が決定。直前まで開催の方向だっただけに、感染状況の急激な悪化は主催者も想定外だったに違いない。誰もが落胆していたところ、松本市のキッセイ文化ホールで行われるはずだったオーケストラBプログラムを収録した映像がYouTubeで無料配信されるという。

Bプログラムの指揮はNHK交響楽団の音楽監督として活躍し、日本にも馴染み深いスイス出身のシャルル・デュトワである。小澤征爾とは同世代で、フランス音楽を得意とするところも共通性がある。デュトワ自身も小澤と自らの音楽作りが似ている、と来日前のインタビューで話していた。音楽監督時代には、それまでドイツ、オーストリア系の渋いレパートリーを主としていたN響から色彩感を引き出したシェフとして「音の魔術師」の異名を持つデュトワ。今回はそのお得意のフランスもののプログラムを振る。サイトウ・キネン・オーケストラがどんな音を聴かせてくれるのか。スタジオの通信環境ならばPCのフリーズも心配ない、という期待もあり、私は半蔵門に向かった。

編集用のスタジオに入り、PCをセット。日曜日の午後、人気の少ないスタジオの唯一の難点は異常に冷えること。膝掛けと熱いコーヒーを淹れて準備万端。配信は少し前からオーケストラのメンバー紹介が始まっていた。普段ソリストとして活躍しているメンバーも多いので、演奏や顔はCDなどで知っていても、初めてその声を聴く人や、或いは限られた時間内で的確にコメントする話し上手な人など、ラジオディレクターとしては声とトークについつい注目してしまう。また番組ゲストに迎えた顔見知りの演奏家も何人かいて、普段着の彼らの様子にも微笑んでしまった。有観客での公演が中止になってしまったとはいえ、皆一様にオーケストラとして集まって演奏できることを心から喜んでいる様子が感じられた。

始めはラヴェルの「マ・メール・ロワ」。デュトワは指揮棒を持たず、指揮台も譜面台もなく、暗譜で指揮を始めた。落ち着いたテンポ。金属ではなく木質のフルートが優しく温かい響きを奏で、弦の静かな細波が冒頭から滲むような色彩を感じさせる。なんとふくよかな音色だろう。ラヴェル特有の輝く音の煌めきも、目の眩むような光ではなく、柔らかな真珠の光沢のようで、コロナ禍でささくれだった心も癒えるようだ。

ドビュッシーの「海」は、より音の厚みと振幅が増して、漂う波の畝りとともにこの曲の映像美を一層膨らませた。続く「牧神の午後への前奏曲」、やはり冒頭のフルートが艶かしいメロディーの糸を紡ぎ出し、ハープの美しいアルペジオが燻り、自然と牧神の夢想の中に誘い込まれる。

最後のストラヴィンスキーの「火の鳥」でもデュトワはこの曲の複雑なリズムを闇雲に強調するのではなく、あくまで柔らかな音楽の襞を残しつつ、フィナーレのクライマックスに向かっていった。

icon-youtube-play シャルル・デュトワ

なんと視聴者数1万6千人。私はPCからAirPods ProのBluetoothイヤフォンで聴いていたが、これが思い掛けず素晴らしい音質で演奏の素晴らしさがダイレクトに伝わってきた。生演奏に勝るものはないと思っていたが、オーディオ機器と配信を実現してくれた関係者にも拍手を送りたい。

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