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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

祝祭のメサイア

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

12月に入ると街はクリスマスムードが漂う。日本では宗教的な意味合いは少ないものの、すっかり生活に根付いたイベントとして、デパ地下の賑わいや街角のクリスマスツリーを見るだけで幸せな気分になるのは悪いものではない。思えばバブル期には恋人同士で祝う若者文化としてのイメージが強かったクリスマスも、ここ最近はすっかり家族のイベントとなって、更にこのコロナ禍で強まったように感じる。

家族といえば、私の妹は都内のとあるキリスト教系の女子校に通っていた。これはうちの母が仏教系の学校に通っていた反動で、ミッション・スクールに対する憧れがずっとあり、娘が生まれたら通わせたい、と思っていたという理由からである。わりとミーハーな母はピアノに対する憧れもあって、それは長女である私に、セーラー服への憧れは次女に、と自身の憧憬を娘に投影する傾向があり、三姉妹の私達はそれぞれひとつずつ母の希望を体現しているようである。

三女の妹の通う学校では校内にチャペルがあり、毎週礼拝が行われていた。クリスマスの時期にはヘンデルの「メサイア」を歌う、という習慣があり、妹は家でも時々その歌の練習をしていた。当然ピアノをやっていた私も練習に付き合わされ、最終的には次女も巻き込んで、3人で各パートを歌ってハモっていたものである。それが私の「メサイア」事始めだった。特に「ハレルヤコーラス」の祝祭的な音楽は子供心にいたく感動した。

icon-youtube-play ハレルヤ・コーラス

合唱の持つ高揚感と一体感に夢中になったのはそれより少し前、小学生の頃、合唱コンクールなどにも積極的に取り組んでいた私は、中学に入学したら合唱部に入ろうと心に決めていた。しかし腹筋を鍛えるために筋トレやマラソンをするという、田舎の学校にありがちなスパルタな仮入部で早々にリタイア。ピアノをやっていたのでほぼ伴奏担当確実だったのと、練習時間が取れない事情もあった。

高校生になるとバッハの「マタイ受難曲」を知り、その深い世界にどっぷりはまった。同時に合唱とは切り離せない宗教曲に興味が湧いて、その頃はどちらかというとバッハの作品ばかり聴いていた。世の中にもバッハの作品は名録音がたくさん溢れている。バッハが母国を離れず教会という閉鎖的な空間で音楽人生を終わったのに対し、ヘンデルは海を渡ってオラトリオやオペラの世界で活躍し、外交的な音楽を作った。しかしオペラを鑑賞することが少ない日本ではヘンデルの存在は少し遠く、どこか求道的なイメージのバッハは音楽の父として圧倒的に人気がある。

icon-youtube-play バッハ:マタイ受難曲

しかしヘンデルの音楽にはバッハとは違った魅力に溢れている。躍動的なリズムや華やかな雰囲気は明るさに満ち、クリスマスの季節に聴く「メサイア」はまた格別である。私もこの季節には普段からイヤフォンで聴いている音楽を「メサイア」に変える。既にカラオケで歌えるくらい馴染んでいるお気に入り曲でもある。今回それをライブで聴く機会が訪れた。しかも古楽グループ、アントネッロの演奏となれば是非行かなければならない。

土曜日の午後。川口リリアホールは都内から少々離れているが、川口駅のすぐ目の前である。1300席程の会場でクラシックはもちろん、様々なコンサートやイベントが催され、地元の人に人気を博している。知人が近くに住んでいることもあって、街に美味しいパティスリーがあるという情報も得たので、今回はそこに寄る楽しみも控えていた。

会場の舞台にはオルガン、テオルボなどの通奏低音を含む少編成の器楽パート13名、合唱もソリストを含め13名。今回アルト・パートは全てカウンターテノールが担っていた。彌勒忠史さん他、贅沢な布陣。

全体の演奏テンポは早め。リズミカルに進んでいくのだが、時折フレーズを膨らませたっぷりと歌わせる。不意の減速に驚くものの、柔らかな空気を孕んだような響きにふっと心が軽くなる。自由に伸縮性を持たせる指揮の濱田さんは全身を使って軽快に導いていく。絶妙な緩急にこの曲の持つ生き生きとした魅力が際立っていた。途中のピファ=器楽演奏部分ではヴァイオリンパートにバグパイプ(!)を使い、濱田さんのリコーダーも短く演奏されたのが、いかにもアントネッロらしい演出でなんだか嬉しくなる。実はピファの語源はバグパイプと葦笛に由来するとか。これには唸ってしまった。

ピリオド楽器の持つ素朴な音色の演奏でありながら、そこにまるでバロックオペラのアリアを思わせる個性的なソリストの歌唱。最後まで様々な驚きがあって、聴く人を惹き付ける。これまで聴いたどんな演奏よりもエキサイティングな「メサイア」に会場全体が興奮した。

休憩を挟んで約3時間。即興的な要素が多かったせいか、終演は予定より大幅に遅れて17時を過ぎていた。予約していたパティスリーに急いで向かい、お目当てのケーキを買って再び年末進行の仕事が待つ半蔵門のスタジオへ急いだ。都内へと向かう電車に揺られながら、「メサイア」の祝福ムードと甘いケーキの香りで、私は一足早いささやかなクリスマスの幸せを噛み締めていた。

写真:濱田芳通指揮アントネッロ(当日のコンサートより)

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