RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
私が制作に関わる衛星デジタル放送ミュージックバードのクラシック・チャンネルでは「ストラディヴァリウス・コンサート」という番組がある。これは言わずと知れた弦楽器の至宝であるストラディヴァリウスを保有し、国内外の優秀な若手演奏者に無償で貸与している日本音楽財団の協力のもと、そのライヴ音源を放送している人気番組である。
日本音楽財団では現在21挺のストラディヴァリウスやグァルネリ・デル・ジェスを保有しており、これを世界的な文化遺産として次世代に継承するため保守、保全する他、折に触れて貸与者によるコンサートを各地で開催している。今回私はコロナ禍で久しく行われていなかった同財団のコンサートに足を運ぶことができた。場所はサントリーホールブルーローズ。楽器は1716年製のストラディヴァリウス「ブース」を新しい担い手である日本人演奏家、吉田南さんが演奏するという。
日本音楽財団の公式ホームページによると、「ブース」は英国のブース夫人が所有していたことでこの名で呼ばれている。夫人が自身の子供たちのクァルテット演奏のためにパリの楽器商ジャン・バティスト・ヴィヨームから購入。その後、オットー・ブース氏によってサウス・ケンジントンの楽器展に出展された後に売却された。時代とともに様々な資産家の手に渡り、1989年には英国のヴァイオリニストで指揮者のアイオナ・ブラウンの手元に渡り、多くの演奏会で使用されてきた。日本音楽財団は1999年からこの楽器を所有している。
由緒あるストラディヴァリウスを1998年生まれの吉田さんがどんな音で聴かせてくれるのか、大変興味があった。彼女は桐朋学園大学ソリストディプロマコースを修了、ニューイングランド音楽院、東京音楽大学アーティストディプロマコースに在籍。全て特待生や特別奨学生としての扱いということで、その期待値の高さが伺える。既にシベリウス国際ヴァイオリンコンクールやハノーファー・ヨーゼフ・ヨアヒム国際ヴァイオリンコンクールなどでの受賞歴もあり、国内外のオーケストラとも共演を重ねている。
吉田南(Vn)
ブルーローズでのコンサートの案内には共演ピアニストに福間洸太朗氏の名前があって、ちょっと意外な気もしたがそれも非常に楽しみだった。若手ピアニストと思っていた彼もプロフィールを確認すると39歳。ヨーロッパで研鑽を積み、レパートリーも幅広く、発表しているアルバムも常にコンセプチュアルで、音楽界でも注目を集めている存在だ。編曲も得意で楽譜も出版し、YouTubeチャンネルでは曲目解説なども行なっている知性派である。
福間洸太朗(P)
そんな二人の共演プログラムはもちろんソナタ。モーツァルトのK304、ブラームスの第3番、フランクと名曲揃い。南さんのヴァイオリンはとにかく響きが豊潤である。「ブース」はしばらくドイツの人気ヴァイオリニスト、アラベラ・美歩・シュタインバッハーに貸与されていたと記憶している。彼女が弾く演奏もライヴで聴いたことがあったが、その時はかなり繊細な音という印象だったので、同じ楽器でもヴァイオリニストによってここまで音色が違うのか、と驚きを隠せない。特に後半のブラームスとフランクではその艶のある音で楽曲の持つパッションが迸る。しかし決して感情に流れるばかりではなく、アーティキュレーションも実に巧みで音程も惑いがない。細かいフレーズの扱いにも聴き入ってしまう魅力がある。そんな圧倒的に存在感のあるヴァイオリンに、最後のフランクのフィナーレでは思わず前のめりになってしまった。
しかしストラディヴァリウスは弾きこなすのが非常に難しいとも言われる。実際名ヴァイオリニストでも楽器を持て余してしまうことも多い。まだ「ブース」を手にして間もないというのに、すっかり自分の楽器にしてしまっている彼女の驚くべき才能、また「ブース」の楽器としてのポテンシャルも同時に感じた。客席は音楽愛好家というよりは一般関係者が多く、席数も制限していたせいか拍手がまばらだったのが舞台の二人には少々気の毒なくらい、とても熱の込もった素晴らしい演奏だった。
福間さんのピアノはここでは「ブース」を立てる、といった感じであまり出過ぎることはせず、やはり大人の実力派だけあって見事に音楽を支えていた。コロナ禍で久しぶりのコンサートだったが、こんな充実した内容だと私も今後の番組作りのモチベーションが上がりそうである。
この日の公演は広報の一環としてインターネットで無料配信される予定との告知があった。日本音楽財団のホームページで案内があるそうなので、今後要チェックである。また手前味噌ではあるが、ミュージックバードではストラディヴァリウスの音色を存分に堪能できる24bitの高音質放送で後日お届けする予定。
日本音楽財団
MUSIC BIRD 「ストラディヴァリウス・コンサート」
https://musicbird.jp/programs/stradivari/
名だたる名器も次世代へと受け渡されるタイミングのようで、続々と若手演奏家が登場するのを楽しみにしたい。
日本音楽財団ランチタイムコンサート
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