RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
神奈川県立音楽堂に赴くのはずいぶんと久しぶりだ。コロナ禍で特にオペラはその煽りを受けて中止となった公演も多かったが、この秋からかなり再開されている。そのひとつ、注目されていたヘンデルのオペラ「シッラ」の初日だった。この公演も開幕3日前にやむなく中止となってから2年半を経てようやく実現したのだ。
演奏はファビオ・ビオンディ。言わずと知れたピリオド・ヴァイオリンの名手が手兵のエウローパ・ガランテとともに来日していた。このコンビといえば、個人的な思い出とも重なる。彼らのヴィヴァルディの「四季」のディスクが日本で発売された頃、私は某楽器店でその仕入れを担当していたのだった。ピリオド楽器ブームが勢いを持ち始めていた時代、その演奏は鮮烈だった。生き生きとした息遣いとテンポ。「四季」といえばバロックの名曲で、穏やかでのんびりしたムードで聴くのが定番というそれまでとは全く違った、どこか挑戦的にも感じられる演奏だった。そして〈ビオンディの四季〉は時代の代名詞となった。ピリオド楽器のアンサンブルは基本的に小編成、ビオンディもヴァイオリンを弾きながら指揮をする。現代ではすっかり定番となった演奏スタイルである。
ヴィヴァルディ:「四季」byビオンディ&エウローパ・ガランテ
演出は日本のカウンターテナーの第一人者でもある彌勒忠史。最近はオペラ演出家としても活躍している。多彩な彌勒さんには本を出版されたタイミングで番組ゲストにも出演していただいたことがあるのだが、その時にスタジオのロビーに別の番組ゲストで歌手の岩崎宏美さんが座っていた。彌勒さんは岩崎さんのファンだったそうで、現場で感激していた様子が失礼ながら妙に可愛らしかった。しかし、そんなジャンルを超越した彌勒さんの感性が大いに発揮された舞台でもあった。
このヘンデルのオペラ「シッラ」は日本初演。ほとんどの人がその作品の存在を今回初めて知ったに違いない。バロックの大作曲家ヘンデルは、教会を主なフィールドとしたバッハと違い、劇場の音楽家だった。ドイツで生まれたが、イギリスに渡ってロンドンでオペラやオラトリオを多く作曲した。現在上演される主だった作品以外にもまだまだ知られざる作品があり、近年その上演が相次いでいる。ビオンディはその発掘にも一役買っている存在だ。また歌手陣もソニア・プリナ、ヒラリー・サマーズ、ヴィヴィカ・ジュノーなどバロックを中心に活躍する精鋭が登場する。このようなハイレベルの演奏で聴けるのは素晴らしい機会でもある。
ヘンデル:歌劇「シッラ」
当日は秋晴れの気持ちの良い天気だった。桜木町から歩くと音楽堂は徒歩10分ほどだろうか。線路脇の遊歩道を歩いて行くと人も少なくて、車通りの多い道路より高い位置になっているので、のんびりと散歩気分で紅葉坂まで。ここから遊歩道の階段を降りて坂を登って行く。音楽堂に到着すると、ガラス張りのロビーは光が溢れて午後の日差しが眩しいくらいだ。話題の公演だけに客席も人で溢れている。近くの横浜能楽堂まで出ると近くには緑豊かな公園があり、一息つくにはぴったりのベンチが。私は2度の休憩時はもっぱら指定席のようにここに座って過ごした。
さて、ストーリーである。
ローマの英雄シッラは、戦いに勝って凱旋。あらさまな野心を剥き出しにして、友人であるレピドの妻フラヴィアや副官の娘チェリアなどに劣情を抱き、思い通りにならないと、彼らを投獄するなどして追い詰める。こうした人物関係は当時の政権に置き換えることも可能で、政治批判につながるという見方もある。ストレートに暴君の横暴振りをオペラにした作品ではあるが、実際上演されたかどうかは不明だという。
しかし最後には軍神マルスが登場して全てを丸く納めてしまう、というやや都合の良い結末もまた演出上悩ましいところではある。しかし彌勒さんは歌舞伎から着想したスペクタルな衣装と、プロジェクションマッピングを駆使した、むしろ近未来日本のような、少しアニメ的な舞台空間を生み出すことに成功していた。好みは別れるところかもしれないが、この奇想天外な演出が妙に説得力を持っていたのは、「スーパー歌舞伎」のように、長い伝統における古典芸能の要素とデジタル技術、どちらも日本の得意技でもあり、相性が良いという点が大きいかもしれない。ラストにはシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーが登場するなど、今までの概念では考えられない発想も、それをまとめあげるセンスが不可欠なのは言うまでもない。
演出:彌勒忠史メッセージ
音楽堂の室内オペラプロジェクトは開館65周年として始まったそうだが、かつて〈ビオンディの四季〉がそういう存在だったように、挑戦的な取り組みでもある。しかしコロナの怪我の功名で、小編成のサイズ感のオペラ上演が最近は盛んに行われるようになった。この親密な空間がもっと気楽に、様々な要素を取り入れることで、たくさんの人がオペラに親しむ機会になることを願う。
神奈川県立音楽堂公式ページより
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