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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

ラジオとクラシック音楽

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

この12月で15年近く担当してきたミュージックバードの番組「ニューディスク・ナビ」が終了することになった。私は幸運なことに長寿のレギュラー番組を担当させていただくことが多い。本格的なクラシック音楽を専門に聴くことのできるチャンネルを持つミュージックバードという放送局に長く携わらせていただいている、というのも大きかった。

「ニューディスク・ナビ」は国内外の新譜をくまなく紹介する、という趣旨の番組。音楽評論家の山崎浩太郎さんのご案内で始まったのが2007年、それ以前は「新譜紹介」というシンプルなタイトルで、やはり音楽評論家の東条碩夫さんが出演されていて、その途中からディレクターを担当していた私は、20年近くこの番組に携わらせていただいたことになる。一日の放送時間は6時間、しかもそれを月曜日から金曜日の週5回というボリューム。大体CD一枚が60〜70分程度なので、一日5枚程度、週25枚となるとひと月で100枚もの新譜を紹介していたわけである。

icon-youtube-play マーラー:交響曲第9番よりbyサイモン・ラトル指揮バイエルン放送交響楽団

それだけの新譜が発売され続けていたのにも驚くが、さすがにコロナ禍を挟み、世界中で音楽を演奏することが難しくなった時期は新譜の発売も必然的に少なくなった。更に近年、音楽は音源ファイル、特にサブスクリプションの音楽配信で聴くのが主流となっている。LPやCDというパッケージで販売し、それをオーディオ機器で再生する、という音楽の聴き方は既に過去のものになってしまっているのだ。これは雑誌や本でも同じことがいえる。手にとって触れることのできる「物」としてのアイテムではなく、形のない「音楽」や「情報」そのものを取引きすることは、そこに存在していた様々なビジネスが淘汰されてしまうことでもある。良い悪いではなく、時代の流れというものなのだろう。

icon-youtube-play ベートーヴェン:ピアノソナタ 第30番第1楽章よりbyアンヌ・ケフェレック(P)

一方でしかし「物」としての存在感が薄れたとしても「音楽」や「情報」そのものの価値が失われることはない。所有することでそれを置くスペースの問題からも解放される。例えば私も移動時間に本を読んだりするには電子書籍は非常に便利だと思うのだが、それでも最近また紙の本に逆戻りしている。手に触れた時の感覚、紙の匂いや、装丁のデザインを楽しんだりすること全てが本の魅力なのだと思ったりもする。

「音楽」は耳で聴くという行為自体が感覚的なので、本よりは「物」に落とし込まなくても愛せる対象かもしれないが、それでもアルバムジャケットのイメージや曲目解説、細かい録音データなどを確認するには、やはりパッケージ化されていると合理的でわかりやすい。それらを番組として大量に紹介するにも大変便利なのである。つまり、音楽の非パッケージ化はそのまま、番組制作をするにあたっての利便性にも影響を及ぼすのである。

ラジオというメディアにも時代の波は押し寄せている。若い世代ではラジオの聴き方自体を知らない人も多い。情報量の多さ、伝達の速度としては圧倒的にインターネットに軍配が上がり、限られた時間と場所で情報を得るのが前提だったテレビでさえ、現代の行動様式からすれば不利なのである。テレビ録画はビデオテープ、DVDやブルーレイといったソフトウェアを介した時代を経て、現在ハードディスクに直接録画されるのが主流だが、こうなると高齢の世代には理解が困難に違いない。正直私でさえ、もはや録画で見ることは億劫になってしまい、テレビは基本的に見ないし、録画はよっぽどでないとしない。必要な時は家人に頼むという有様である。

どんなに素晴らしいものでも時代の流れからこぼれ落ちてしまうものは存在する。残念だが、ラジオとクラシック音楽がそこに含まれているのはまんざら否定できない。これらを愛する人はこれ以降、更に少数化していき、どんどん高齢化していく。マーケットの縮小でそれはマネタイズの非常に難しい分野となっていくのかもしれない。そしてゆくゆくは限られた愛好家たちのノスタルジーとして語られる、骨董品のようなものになっていくのだろうか。

寂しさは否めないが、それでも「音楽」の求心力には圧倒的なものがある。殊にクラシック音楽は時代の流れの中の空気を全て取り込んで聴き続けられてきたものだ。そこには人間のあらゆる思想、文化、哲学などが含まれている。今後その音楽に触れるのにはライブが主流となっていくのかもしれない。これはコロナ禍で音楽が途絶えつつあった時にも感じたことだが、本来それこそがあるべき姿、という気もする。

icon-youtube-play ストラヴィンスキー:「火の鳥」よりbyグスターヴォ・ドゥダメル指揮ロサンジェルス・フィルハーモニック

それでもラジオというメディアで音楽を届けることの意味を考える。ふとした時に耳にして強く心惹かれる音楽。それは時に時間や場所、性別や年代を超えて心に響くこともある。その偶然の「出会い」こそドラマだと思う。奇しくも先日、ラジオディレクターとして雑誌のインタビューに答えたことがあったのだが、その時にも「ラジオの魅力とは?」という質問に私はそんなことを口にしていた。
音楽との「出会い」を作る側の人間として、ラジオにもう少し関わっていきたいと思う。

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