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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

愛に満ちた音楽家バーンスタイン

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

「愛」とは何か。

時々親しい友人たちとお酒を飲みながら(正確には私はお酒を飲めないが)話したりすることがある。しかしいつも話しながら結局それが何なのか、自分の中でもうやむやになってしまうのだが、一冊の本を読んで、その答えが見えた気がした。

レナード・バーンスタインについて書かれた著書「親愛なるレニー」は不覚にもクラシック音楽にはそんなに明るくない夫から薦められた。

著者はアメリカ文化史などを専門とし、ハワイ大学で教鞭を執る吉原真里氏。ニューヨークで生まれ、ジェンダー問題などにも取り組み、国際的な感覚を持ち合わせた彼女は一方で、若い頃にはピアノを学んだ経験があり、クラシック音楽についても詳しく、いくつか著書がある。その経歴を見ると、確かにレナード・バーンスタインという20世紀アメリカに於いて特別な存在感を放つスター音楽家について書くには最適の人物に違いない。しかし、この本の内容は彼女が図書館で偶然見つけたバーンスタインへの二人の日本人の手紙を中心に展開していく。

レナード・バーンスタインは日本とは関わりが深い。1990年から始まったPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)という札幌で行われる国際音楽祭も彼が創設したというのはクラシック音楽に多少関わりを持つ人ならば知っているだろう。平和や人権活動にも熱心で、1985年には広島平和コンサートを開催。また小澤征爾や大植英次、佐渡裕など、現在第一線で活躍している日本人指揮者たちもバーンスタインの薫陶を受けている。更に武満徹、黛敏郎など、日本を代表する作曲家とも交流を持ち、その作品を積極的に紹介している。幼くしてデビューしたヴァイオリンの天才少女、五嶋みどりとの共演エピソードも有名である。

icon-youtube-play 五嶋みどり

しかしそうした著名人ではない、二人の日本人との親密な関係性がこの本では明らかにされる。大ヒットミュージカル「ウエストサイドストーリー」の作曲家であり、ニューヨーク・フィルやウィーン・フィルなど世界の名門オーケストラと共演している世界的な指揮者。バーンスタインについて書かれた本はいくつかあるし、私もそれらを読んだことがあるが、この本はそうした「偉大な音楽家バーンスタイン」といったイメージだった彼の、屈託のない笑顔のスナップ写真を覗き見てしまったような感覚になるものだった。

icon-youtube-play ウエストサイドストーリー

二人の日本人、一人は天野和子。バーンスタインのデビュー当時からその才能に惚れ込んでファンレターを日本から送り続けた。ピアノを学ぶ少女だったカズコはやがて日本人男性と家庭を持ち、子どもを育てる母親となり、バーンスタイン一家との交流も生まれ、最も長い、身近な存在のファンとなった。その手紙の中では時折りフランス語で表現される言葉があったり、育ちの良さを感じさせる字体、季節に合わせたデザインのレターセットを選ぶなど、日本人らしい丁寧さときめこまやかな感性が伝わってくると同時に、教養と知性に溢れた女性像が見えてくる。

そしてもう一人は更に人間バーンスタインに深く入り込んだ人物で日本人男性、橋本邦彦。愛称クニは舞台芸術をこよなく愛する才気溢れる、しかしクラシック音楽からは少し距離を置いたところにいた青年だった。手紙からは彼の魅力ある人間性やコミュニケーション能力にも驚かされる。よく知られている通り、バーンスタインはバイセクシャルの性的指向を持ち合わせていた。そんな彼の恋人の一人だったクニはやがて、バーンスタインの夢の実現に向けて舞台裏でその才能を発揮していく。

二人との手紙のやり取りから当時の日米の政治や経済、文化やクラシック音楽の歴史的な背景とともに、その中で少しずつ変化していくレニーと彼らの関係性はまるで小説のようにドラマティックでもある。現代ではメールで一瞬のうちにやり取りできる。しかし当時の手紙は相手に届くまでに時間がかかる。スターとなったバーンスタイン本人に届くには更にタイムラグがある。その時間を考える時、人は相手のことを深く想うのである。それはもどかしくもあり、しかし一方で何よりも相手のことを想っていたその時間と温もりが届く。そこに届いた「想い」はカズコとクニで少し形の違うものだったかもしれない。しかし手紙に溢れる「想い」をバーンスタインが真摯に受け取っていたのは、この手紙が大切に保管されていたことからも明らかだ。

思えば彼の演奏は常に熱いものが溢れている。この本のあちこちに登場するコンサートの場面には、カズコとクニの様々な葛藤やドラマがあったと思うと、その演奏がいかにして生まれたものなのかが詳らかになり、もう一度耳で確認したくなる衝動に駆られる。バーンスタインの音楽の中にあるもの、それがなんだったのかをこの本を読み終えた人は確信するだろう。

icon-youtube-play マーラー:交響曲第9番

ある友人が言った。「愛とは全てが一つになること」だと。その時には曖昧に聞こえた友人の言葉に、私はにわかに真実味を感じた。時間も性別も立場も超えて燃えたぎる彼の音楽を、「愛」と呼ぶのにこれほど相応しい言葉はあるまい。

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