RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
現代のグローバル社会に於いて「西洋」という括りは若い世代の間ではあまり使わないワードかもしれない。インターネットが世の中に登場してからというもの、地球の垣根は取り払われたかに思えた。情報の世界だけにとどまらず、もちろんそれはクラシック音楽の世界でも少なからず影響している。
世界の一流オーケストラには様々な国籍の団員が在籍しているし、例えば世界のトップに君臨するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団では日本人奏者がコンサートマスターを務めている。そうなるとドイツのオケだからといってドイツ的な音になるか、というとそういう個性は薄れてくる。
とはいえ「お国もの」といった自国の作品に対する思い入れはやはりあるだろう。我々日本人に「わびさび」という感覚が生まれながらに備わっているように、ウィンナ・ワルツの3拍子の感覚はウィーンに生まれ育った人にはごく自然に身についている。だからこそ新年のウィーン・フィルによるニューイヤーコンサートが特別なものになるのである。
ウィーン・フィル ニューイヤー コンサート2023
もともと日本においてクラシック音楽というものは、海の向こうの「西洋」の音楽、という捉え方が強い。そうした意識の中、特にドイツ音楽、ベートーヴェンやブラームスこそが絶対だという非常に保守的な人たちが多いことも否めない。
しかし優れた日本人演奏家はたくさん存在するようになった。世界的な指揮者である小澤征爾をはじめ、ヴァイオリンでは五嶋みどり、諏訪内晶子、樫本大進、ピアノの内田光子や、最近はコンクールで話題の反田恭平、藤田真央、バイロイトで活躍する歌手、藤村美穂子など世界を舞台にする演奏家は枚挙にいとまがない。
藤村美穂子
そんな中、日本人作曲家に関してはどこか影が薄い。プログラムで見かける名前は武満徹くらい、なかなか国内のオーケストラの定期演奏会でも名前を見かけることがない。それこそ「お国もの」である日本のオーケストラがそれを取り上げないのはどうしてなのか。それはやはり日本の聴衆が「西洋」のものであるクラシック音楽に対して、日本人作曲家の作品を「正統派」とみなさないところがあるのではないか。或いは比較的浅い日本のクラシック音楽教育の歴史を考えると「現代音楽」の要素を含んでいるため、とっつきにくさがあるのかもしれない。
そんな空洞化した日本のクラシック音楽の歴史を重視しているのが、指揮者の山田和樹である。彼は以前から日本人作曲家の作品を数多く取り上げており、録音にも熱心に取り組んでいる。私は彼の録音で知った日本人作品も多い。この1月にはその山田和樹が読売日本交響楽団を振って日本人作曲家を取り上げる定期演奏会が2回もあり、それは新年の同オーケストラのプログラムのラインナップの中でも一際目を引いた。
山田和樹指揮読売日本交響楽団
ひとつめは黛敏郎の「曼陀羅交響曲」とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。
黛敏郎は日本を代表する作曲家だが、「題名のない音楽界」の司会などでお茶の間でもお馴染みの存在で、その作品以上に顔を知られている。この「曼荼羅交響曲」は、仏教思想をいわば図象化した「曼荼羅」を音で表現したものである。映像的な描写を立体化するように、ピアノ、ハープ、チェレスタといった楽器を中央に、弦楽オーケストラを左右に置いていたのが面白い。煌びやかなオーケストレーションは身を委ねると色彩的な音の中に東洋的な感覚が含まれているのを感じずにはいられない。それは同日プログラムのマーラーの内省的な音楽とはやはり対照的な様相を呈す。
曼荼羅交響曲
ふたつめは矢代秋雄の「交響曲」とR.シュトラウスの「アルプス交響曲」。
かなり重量級のプログラム。矢代と黛は同年齢、同門下というのも驚きである。多彩な黛の音楽に対して、矢代の作風は近代的な書法による斬新さはあるが、決して理解不能の音楽ではなく、フランスで学んだ和声法に基づく後期ロマン派的な雰囲気もあり、楽章ごとの性格もはっきりしていて聴きやすさがある。交響曲というオーセンティックな形式に落とし込むことで難解さを伴う前衛作品に抵抗がある人の耳にも馴染む。
矢代秋雄「交響曲」
私は両日のコンサートも聴くことができた。まずはこの日本人作品に果敢に挑んだ山田和樹に拍手を送りたい。楽曲の魅力を余すところなく伝えてくれる彼の指揮と読響の重心の低い安定感は、いい意味で対照的な作品を鏡合わせのように見事に対比してみせた。日本と西洋、黛と矢代、そしてマーラーとR.シュトラウス。この重量級プログラムをこれだけのレベルで聴かせるコンサートはそうそうない。聴き手としては大満足だが、演奏する側には体力と集中力を要する大変なプログラムだっただろう。特に「アルプス交響曲」は楽章の切れ目がないので、それこそ山登りのような持久力が必要である。カーテンコールに現れた山田はさすがに少し疲れた様子だったが、譜面台の楽譜を掲げて作曲家に敬意を表するのを忘れないのが、実に彼らしく目に焼きついた。
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