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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

ロッテルダム・フィル来日公演〜藤田真央、奇跡のラフマニノフ

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

コロナ禍で滞っていたコンサートが加速して、来日ラッシュが止まらない。そうなると懐具合によって必然的にコンサートも厳選しなくてはならなくなるのだが、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の来日コンサートは悩ましかった。7月頭に出張を控えているので、その分の仕事もこの期間にやらなければいけないとなると頭が痛いところである。

友人の構成作家K女史から誘われなければ、この日の東京芸術劇場でのコンサートは或いはスルーしていたかもしれない。決め手は藤田真央がソリストを務めること、ロッテルダム・フィルはコロナ禍でオーケストラの活動さえ危ぶまれる状況だった時期に、楽団員達がいち早く在宅でオンラインのアンサンブルを実践していたのを、このコラムでも取り上げたことがあったので、コロナ明けのタイミングにちょっとした縁を感じたりしたからだ。

icon-youtube-play ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

実を言うと前日にも東京芸術劇場で東京都交響楽団のコンサートを聴いていた。マルク・ミンコフスキが指揮するブルックナー第5番で、これは早々にチケットを入手。余談だがWEBチケットを取り扱う在京オケもだいぶ多くなってきた。手数料がやたらとかかる従来のコンビニ発券の方が間違いない、という話もあるが、紛失や引き換え忘れのリスクがないのは忘れっぽい私には向いている。ブルックナーには未だに及び腰なところがあるのだが、ミンコフスキが振るなら別だ。音楽に躍動感が生まれ、時にクール過ぎる印象を与える都響の音にも温かみと有機的な膨らみが宿る。素晴らしいコンサートに満足して帰宅した。

icon-youtube-play マルク・ミンコフスキ指揮東京都交響楽団リハーサル

翌日は在宅仕事をこなしてから直接ホールへ向かうことにした。更に次の日も築地の浜離宮朝日ホールでK女史とコンサートを聴くことになっていたが、このチケットは私がまとめて手配していた。こちらはコンビニ発券だったので、どこかで発券して今日K女史に渡さなければ、と少し早目に家を出た。ところが何故かサントリーホールだと思い込んでいた私は、溜池山王のコンビニをスマホで探している時にふと気が付いた。今日のコンサート、リアルな紙チケットを確認すると、そこには東京芸術劇場と書いてあるではないか!

慌てて(またかよ)永田町から有楽町線に乗り換えて池袋へ向かう。少し早目に出ていたのが幸いしてギリギリ開演前に着席することができた。セーフ!! 隣でやきもきしていたK女史に軽くお説教され、彼女は彼女で前日から出張で羽田から大急ぎで会場入りしたのでかなりお疲れの様子。

お目当ての藤田真央でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。音楽的にも技術的にも最高水準の難易度を誇り、幾多の名ピアニストがコンサートや録音で取り上げている名曲。当然耳にする機会も多いが、この夜の藤田真央はそれらと比べても突き抜けて素晴らしい演奏を聴かせたと思う。冒頭のテーマからその歌い口にうっとり。そこから展開するピアニスティックで華麗なパッセージも驚くほど煌びやかな光を放つ。今日の演奏は近年稀にみる名演になるのではないか、という予感がこの時に既にあった。

まるで泳ぐように自由自在なテンポの揺れ、しかもそれが呼吸するように自然な流れの中にあり、ラハフ・シャニの指揮するオーケストラも、その美しく揺らぐ音楽に乗っていく。カデンツァの複雑な和声の連なりからなる重音のフォルテシモでも決して金属的な音にならず、重厚さの中に見事な弾力がある。ソットヴォーチェでは彼の手は羽毛でできているのか? と思うほどの軽やかさ。第2楽章の身を震わせるようなロマンティックで雄大な美しいメロディーも全く外連味がない。自然な歌心の発露としてその音色はホールに沁み渡る。どんなに美辞麗句を並べても追いつかないこの感動を何と言葉で言い表すべきだろうか?

間を開けずアタッカで続く第3楽章では駿馬が疾走するごとく、息を呑むテンポで進んでいく。もしこの演奏をラフマニノフが聴いたら祝福さえするだろう。私は一瞬足りとも聴き逃すまい、と全身全霊で舞台の上から紡ぎ出される音に齧り付いた。

終わってみれば一筆書きのように一気呵成に駆け抜けたあっという間の40分弱。これまでこの曲のライブで聴いたベストワンだったと確信する。そして、興奮が抜けきらぬアンコールではショパンのエチュードから「エオリアンハープ」を、これまた外声のメロディーを俯瞰して聴かせる、抑制のきいた演奏。その次は指揮のラハフ・シャニとの連弾でドヴォルザークのスラブ舞曲が和やかに演奏された。

後半、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」もラハフ・シャニの明快でアグレッシブな指揮とロッテルダム・フィルの乗りの良さの相乗効果で素晴らしかった。しかしもうここで書くには文字数が足りないほどにラフマニノフが見事だったのは言うまでもない。返す返すも開演に間に合って本当に良かった!

海外暮らしを経て、また一つ脱皮した感のある藤田真央。コロナ禍で活躍が少し足踏みした時期もあったが、今年はコンセルトヘボウやベルリン・フィルハーモニーへもデビュー。思う存分世界へ羽ばたいて欲しい。そして声を大にして言いたい。ピアノを愛する人ならば、一度は藤田真央を聴くべきだ、と。

icon-youtube-play ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番by藤田真央(P)

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