RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
東劇以外では最終上映となる日に、オペラ「チャンピオン」のMETライブビューイングを観に行った。このタイトルでオペラ?と違和感を持つ人も多いかもしれない。
昨今、アメリカのメトロポリタンオペラでは伝統的な演目に加えて、こうした新作、特にジェンダーや人種、貧富の差など社会的な問題を取り上げることが多くなっている。思い起こせば9.11の同時多発テロ、白人警官による黒人への暴力事件、そして世界的パンデミック、ロシアとウクライナの紛争などを経て、世界、殊にアメリカで、人権意識や多様性を真剣に考える時代になったとも言えるのだろう。前回のコラムでも触れたが、こうした題材を積極的に取り入れるアメリカのカルチャーにおける意識の高さを感じずにはいられない。それにしても先のG7でも先進国の中で同性結婚を認めていないのが日本だけ、という現状にはやはり失望する。
余談だが、私が現在担当しているAuDeeのポッドキャスト番組で、ゲイのBL漫画家さんがパーソナリティーを務める番組がある。説明するのは野暮なのだがBLとは「ボーイズラブ」の略称で、そのミナモトカズキ先生はゲイでありながらゲイの漫画を描いている、という稀有な人である。もともとBL漫画は女性が好むとされ、作家も女性が多く、ファンは「腐女子」などという呼称がネットで流行ったのも記憶に新しい。
ミナモト先生はエッセイ漫画も描いていて、そこにはゲイの漫画家であることをカミングアウトした内容や、それまでの葛藤や苦悩を赤裸々に描いたものもある。これを読むと、まるで自分も丸裸にされるような錯覚さえ起こるほど、ご自身の内面を抉り出していて、ヒリヒリした感覚に襲われてしまう。ミナモト先生がエッセイ漫画家としても才能があることは明白なのだが、ゲイであることの生きづらさや、マイノリティーであることの疎外感を、時には家族の理解さえ得られない状況で生きていくことの残酷さを教えてくれたことは、私にとっても貴重な体験だった。
ポッドキャスト番組「漫画家ミナモトカズキの『毎日がド修羅場まんが道』」では、一転軽快なトークも展開しているミナモト先生、彼のことをふと思い出した。
漫画家ミナモトカズキの毎日がド修羅場まんが道
さて、オペラ「チャンピオン」である。作曲はジャズ界の大御所であるテレンス・ブランチャード。先シーズンのMETライブビューイングで上映された、やはり彼のオペラ「Fire Shut Up in My Bones」 より前に作られた作品ということである。同性愛者であった実在のボクサー、エミール・グリフィスを主人公に彼の人生を描く。
対戦相手にゲイであることをからかわれ、試合で死に至らしめてしまったエミール。驚異的な記録でタイトルを獲得してチャンピオンの名声を得るものの、長年の壮絶な闘いの後遺症で認知症を患い、ゲイであること、殺人という二重の呵責に苛まれながら生きていく。
内容的にも非常に重く、それこそ全身にパンチを喰らわされるような感覚である。1950年代の黒人社会の時代背景を含み、かなりリアルで、「Fire Shut…」と同じく、ジェイムズ・ロビンソンが演出を務める。こうした素材は伝統的なヴェルディやプッチーニ、モーツァルトやワーグナーのオペラとはやはり全く印象が違う。スクリーンで観ていることもあって、オペラというよりも映画かミュージカルのような趣でもある。しかしこのリアルさがアメリカでは共感を生み、新たな客層を開拓しているという。
歌手は殆ど黒人である。ベテランのエリック・オーウェンスが年老いて認知症を患うエミールの現在の姿を円熟の境地で、苦悩する青年時代を新人のライアン・スピード・グリーンが体当たりで挑む。彼はこの役に大抜擢された時から30キロ近く減量したという。確かにウェブサイトで見るプロフィール写真と印象が全然違うのに驚く。まるで映画俳優並みのプロ根性である。更に少年時代を演じる子役も登場し、彼のいたいけな歌にも心を打たれる。またMETの音楽監督、ヤニック・ネゼ=セガンがオケを指揮しているが、彼もゲイであることは知られている。
METライブビューイング「チャンピオン」より予告編
ブランチャードは「マルコムX」などの映画音楽でもその才能を発揮している。ジャズとクラシックを融合した、初のオペラ作品ということで、この「チャンピオン」はオペラ作品としてみると少し荒削りな印象はあった。音楽も歌も上手くまとめられ、洗練されていた印象がある「Fire Shut…」と比べると内容的に酷似しているとはいえ、こなれ感はない。しかしそれだけに作品に対する作曲家の意欲と使命感はダイレクトに伝わってきて、このインパクトはかなり強烈だ。いわゆるオペラファン以外にも確実に響くことだろう。しかし最後には「贖罪」というキリスト教的なテーマで終わるのもまたアメリカ的である。東劇ではもう1週間上映するとのことなので、間に合う方は是非観に行くことをお勧めしたい。
ちなみにミナモトカズキ先生の作品は、ドラマ化もされた人気連載「壁サー同人作家の猫屋敷くんは承認欲求をこじらせている」第7巻が間もなく発売される。
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