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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

カキョクカフェのマニアックな夜

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。

「あなたは今、幸せですか?」と訊かれたら即座に「幸せです」と答えられる人はどのくらいいるのだろうか?

実は会社を立ち上げた時に、HP用のプロフィール写真をカメラマンに撮影してもらう機会があったのだが、その女性カメラマンから撮影中に投げかけられた質問だった。私は少し考えて「ものすごく不幸だと思ったことがない程度には幸せだと思う」という、曖昧な答えをした。では、幸せだと思えないAやBという幾つかの状況がどのように変われば完璧な幸せになるのだろうか? と方程式的に考えてみた。AがCという状況になれば、或いはBがDという状態になれば幸せなのだろうか? しかし想像してみるとCやDというのは時間や空間的に同時には成り立たないことも多かったりして、結局人間は常に何か小さな不幸を抱えて生きていかざるを得ないのではないか、と自分なりに結論を出した。(出したところで多少スッキリはした)

さて独り言はともかく、友人のライブについて書く。かのうよしこさんとは、一人では入りにくいレストランに連れ立って食べに行ったり、美味しいものの情報交換をしたりと何かと食繋がりの機会が多いのだが、東京芸術大学出身の声楽家でもあり、音楽ライターとして執筆もしているれっきとした音楽畑の人である。その実、青山学院大学では日本史を専攻していたり、京都造形大学大学院では庭園について学んでいたり、ガジェット系にも妙に詳しい。……と、今回ご紹介していて、改めてそのマルチな才能に驚いたりするわけだが、現在は神戸を拠点に活動している。

その彼女が企画、出演している音楽イベントが「カキョクカフェ」。これまでにも何度かご案内をいただいていたにも関わらず、いつも予定と重なってしまっていて、私が会場のライブハウスZIMAGINEを訪れるのは初めてのことだった。実はかのうさんご夫妻には私の担当するラジオ番組でコメントをもらったり、ゲストをご紹介いただいたりというご縁も少なからずあったので、今回はその番組パーソナリティーでもある黒瀬智恵ちゃんを誘ってみた。

しかしながら、カキョクカフェ#17のテーマは今年生誕150年のドイツの作曲家、マックス・レーガーである。バッハやベートーヴェン、ブラームスならいざ知らず、レーガーと聞いてピンとくるのはかなりクラシック音楽マニアといって差し支えないだろう。しかもサブタイトルは「行き場の無い、想念の小径」である。最初からかなり袋小路状態。飲み食いができる会場でトークもありのライブとはいえ、素人にはかなりハードルが高い。トークは音楽ライターの白沢達生さん、彼にはミュージックバードの番組で何度かお世話になっている。古楽をはじめとしたクラシック音楽とあらゆる文化の背景を知り尽くしている人なので、それなりにわかりやすく解説してくれているのだが、隣の智恵ちゃんは目を白黒させている。なんの説明もないまま連れてきてしまったので、ちょっとショックが大きかったかもしれない。

とはいえレーガーの名前を知ってはいても、私もその作品とか為人について知っていることは少ない。オルガニストで、編曲ものが多い、重厚なサウンドの作品が多い、その程度だ。しかしそこから解説が始まるので、私くらいの半端な知識を持っているとかなり楽しめる。バッハやブラームスへの傾倒、酒好きでヘビースモーカー、巨漢で豪快な人物だったというが、その音楽は晦渋、オルガニストらしい低音の和声進行、と一見とっつき難い雰囲気なのだが、その作品は不思議な魅力を持っている。オーケストラや器楽のイメージが強かったが、意外にも歌曲もかなり残していることを知る。

icon-youtube-play マックス・レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲

今回は二重唱を集めて歌われた。二期会所属のソプラノ歌手で、ワーグナーなどを得意とする小暮沙優さんがかのうさんとともに登場。同時代の好対照の作曲家として、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」から「9月」は季節柄ぴったりだ。その歌声のパワフルで見事なこと! 同時に初めて聴く「歌手」かのうよしこも、その低音の豊かな響きに驚かされた。ピアノは新国立劇場のコレペティトールとして、また指揮者や作曲家としても活躍する根本卓也さん。彼の新作も発表され、レーガーの難解で屈折した音世界から解放されたような美しい軽やかな作品にほっとする。

カキョクカフェのマニアックな夜

「歌」の場合、通常だとプログラムを膝の上に置きながら下を向いて、ついつい訳詞を目で追ってしまうのだが、今回はスクリーンに原語と和訳を同時に映していたのが効果的で、目線を落とさずにいると不思議と原語の歌詞を目で追いかけることになり、耳で聴くのと同時に頭に入ってくる。すると韻を踏んでいることや、フレーズの流れを感じ取ったりできるのに気が付いた。これはかのうさんのアイディアらしいが、こういう発想ができるのも彼女が普通の演奏家とは違うところだ。

カキョクカフェのマニアックな夜

終演は22時を回り、外は土砂降りになっていた。しかしマニアックな夜は愉しかった。こんな日常の小さな幸福の中に、ちょっとした不協和音が重なる、レーガーの音楽のような人生も悪くないのではないか、とふと思った。

https://twitter.com/kakyokucafe

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