RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
久しぶりのサントリーホール。東京フィルハーモニー交響楽団の第999回サントリー定期は首席指揮者アンドレア・バッティストーニ指揮によるオルフの「カルミナ・ブラーナ」である。バッティストーニの音楽性は、この爆発的なエネルギーを持った曲にぴったりではないか。それだけで私は聴きに行こうと意気込んだ。
また前半のプログラムがレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第2組曲というのも興味をひいた。レスピーギといえばバッティストーニの母国イタリアの作曲家。大規模な編成と煌びやかなオーケストレーションが特徴だ。彼は東京フィルと「ローマ三部作」も録音している。ただしこの「リュートのための古風な舞曲とアリア」は擬古典的な作品で、古い時代の作曲家によるリュートやギターのための作品をオーケストラ編曲した組曲である。舞曲の形式を使った優雅な曲想は軽やかで聴きやすく、比較的短めなのもあって、私はよくラジオ番組のテーマ曲に使用していた。第3組曲は演奏される機会がわりと多いものの、第1組曲や第2組曲はほとんどないので、番組本編と被らないのもいい。特にこの第2組曲の最後の「ベルガマスカ」は祝際的なムードもあって、もっと人気が出てもいいのに、と思う。
レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア第2組曲
後半はいよいよ「カルミナ・ブラーナ」である。この「カルミナ・ブラーナ」とは1803年にドイツ南部のベネディクトボイエルン修道院で発見された詩歌集のこと。その内容はおよそ修道院という場所には似つかわしくないような、世俗のあらゆる喜怒哀楽を赤裸々に綴ったもので、テキストのほとんどはラテン語。この詩歌集に触発され、抜粋して歌詞に使い、世俗カンタータという声楽付きのオーケストラ曲にしたのが20世紀ドイツの作曲家、カール・オルフである。オルフもまたレスピーギと同様に古い時代の音楽を再構築するような試みを考えていて、当初は舞踏付きの舞台音楽としての構想があった。この曲全体を通して溢れる生き生きとしたリズムはそんな舞踏音楽を意識しているからに他ならない。
オルフ:カルミナ・ブラーナより
個人的なことになるが、私が初めてこの曲を聴いたのは高校生の時だ。音大の附属高校でピアノを学んでいた私は、学校の定期演奏会でこの曲に出会った。定期演奏会はどういうわけか高校の中間試験や期末試験の合間に行われることが多かったので、いささか不真面目な同級生とともに、演奏会は試験勉強に備えた睡眠時間くらいにしか当時思っていなかったのだが(ひどい)、この「カルミナ・ブラーナ」を聴いた時だけは違った。まず冒頭の「運命の女神よ」の合唱のインパクトが凄い。それに度肝を抜かれ、打楽器が刻む変拍子のリズムに心を奪われ、更にラテン語ではあったが、和訳を読むと率直に恋愛や世俗をうたう歌詞にも驚いた。眠気など一発で吹っ飛んだ記憶がある。すぐさまCDを買いに行き、歌詞カードと首っ引きで、全曲を聴きまくった。おかげで今でも歌詞の一部はラテン語で歌える有様である。そんな風にこの曲の魅力に取り憑かれたのは私だけではあるまい。その後、「カルミナ・ブラーナ」は特に冒頭の合唱曲が様々な映画やTV、CMで使用され、この一節だけは誰もが耳にしたことがある、という流行りの曲になった。
また指揮者のバッティストーニはまだ彼が20代で東京フィルの首席指揮者に決まる直前に、番組ゲストに迎えたことがあった。もう10年近く前のことになるだろうか。その頃は往年のバリトン、エットーレ・バスティアニーニの名前の印象がまだ強く、うっかりすると言い間違ってしまうことも多かった。素顔のバッティストーニは若者らしく、親しみに満ちた笑顔が印象的だったが、当時取り組んでいたマーラーの交響曲や音楽に対する深い洞察力はその言葉の端々に宿っていた。収録時はイタリアの近代作曲家へのアプローチを熱く語っていたのも覚えている。具体的にはレスピーギ、ブゾーニ、カゼッラなどだ。イタリアの指揮者らしく、フレーズを大きく歌わせるダイナミックさと、緻密な感覚と知性は当時から評判だった。その後、着実に実力をつけてきたバッティストーニ、この日は体格も一段と引き締まって、彼らしい熱い演奏を披露してくれた。
アンドレア・バッティストーニ
ソリストもより舞台上演を意識したような演劇的な歌唱を披露、テノールがソロで歌う白鳥の歌「昔は湖にいたものさ」はカルミナ・ブラーナの中でも特にユニークな楽曲だ。昔は湖で優雅に住んでいた白鳥が、今は丸焼きにされてぐるぐると回されている様子を歌っている。カウンターテナーの彌勒忠史さんが手に何かを持っているな、と思ったら白鳥のぬいぐるみ(!)。絶妙の呼吸で客席を惹きつける才能はここでも顕著だった。途中男性合唱が体を揺らして歌う場面もあり、ユニークな演出に客席も凄い盛り上がりで、途中で思わず拍手をしてしまう人がいたほど。
いやはや「カルミナ・ブラーナ」とはなんと中毒性が高い作品か。
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